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星のや竹富島 | 言葉にならなかった想いを今ここに

「おばあがひとり死ぬことは、言葉が死ぬということ。」

竹富島の港の目と鼻の先にあるゆがふ館(ビジターセンター)でお話しを伺った館長さんの言葉に、ハッとした。この島に、もう竹富島の言葉を話せる人はほとんどいない。何かが途絶えるときは人が死ぬときなのだろうか。そうしてはいけないような気が強くした。

人間という生きものが、忘れていることがここには確実にある。絶対にあるのです。この島に来るたびに、わたしはそう思う。この季節に竹富島に来たことには何か意味があるのかもしれないと思った。偶然に決まった出張で、こうして竹富島にいるわけだけれど、なにか大切なことに気づかされる時間になるような、そんな気がしていました。

この時期にわたしはいつも竹富島での日々を思い出す。あるひとつの記憶がそうさせるのです。大切にしてきた心の思い出を今日は書こうと思います。

今から4年前のこの頃、わたしは星のや竹富島にいました。11月に行われる竹富島で最も大きなお祭りである「種子取祭」。山や川がなく農業に不向きなこの島では、毎年五穀豊穣を祈る祭りがとてもとても大事でした。祭りの島とも呼ばれるほど、この島ではたくさんの祭りが行われ、それらは全て、決して誰かに何かを披露するためではなく、この島が豊かに続いていくために大切な生きていくための儀式。祭りは、島の人々がずっとずっと大切にしてきたことのうちのひとつなのです。

その年の種子取祭に向けて、星のや竹富島でも祭りにちなんだ催しが施設内で行われることになった。星のやにいらっしゃるお客様の中にはもちろん、竹富島でそんな大事なお祭りがあるとは知らずにやってくる方も多い。それでも、わたしたちにはどんな理由で訪れるお客様にも、この島のことを、島の文化を、そして島の精神を伝える使命がある。島の人が心から愛するこの島の、現代が忘れてしまった豊かさを、わたしも伝えたいといつも心から思っていました。だから、わたしは一層の想いを込めて、このプロジェクトに取り組んだのです。

プロジェクトの中でわたしは、祭事の際に食べられる”イイヤチ”と言われる伝統食をお客様にふるまう催しを担当することになりました。イイヤチとは、もち米、小豆、きび、そして粟を炊いて、いびらという道具で熱心に混ぜて作る、お餅のようなもののこと。あの頃と、そして島の方と同じものを食べながら、この島に想いを馳せてみてほしい、そう思って始まった取り組みでした。

作り方や、道具にも伝統的な特段のこだわりがある。まずは道具を用意するところから始まった。大鍋を借り、星のやのいびらを特注で作ってもらい、火の起こし方を学んだ。

混ぜている木の棒がいびら
大きな大きな鍋、まずお米を炊く
芭蕉の葉を被せて蒸す

島の方々に全て0から教わり、何度も練習をして、おじい、おばあにチェックをしてもらう。火加減、水加減、蒸し時間、何度も失敗をして、何度もおじいに「まだまだだね。」とダメ出しをもらいながら、島に想いを馳せながら、イイヤチづくりの練習をした。なんとか、これならふるまってもいいだろう、というところまで数カ月かけてたどり着き、祭りの日を迎えたのでした。

伝統とか、歴史とか、なんとなく触れてきたそういうものの重さ、深さ、尊さに初めて触れた体験。作業一つ一つはとてもシンプルなのに、なかなか正解には辿り着けない。それはわたしがこのイイヤチづくりにかけてきた時間があまりにも短すぎるからだということを痛感せざるを得ませんでした。何百年という伝統を、ただの数カ月で踏襲しようなんて、甘すぎる、と。もちろんそれでも出来る限り頑張って、心を尽くしました。

西桟橋

当日。無事に製作とふるまいを終え、夕方にお世話になった島の方々にイイヤチを食べてもらいに行きました。その中の、ひとりのおばあとの時間がわたしはずっとずっと忘れることができない。胸が、きゅっとなって、思い出すと今でも涙が出てくる。これがわたしがこの季節に、竹富島を思い出す理由です。

外のテーブル席におばあの作ったイイヤチとわたしたちが作ったイイヤチを並べて食べた。おばあの作ったイイヤチはぎゅっといいかたさで、甘くて、美味しかった。わたしたちが作ったイイヤチは、水分が多くて柔らかく、でもところどころかたいお米が残っていて、味がぼやっとしていて。わたしは、悔しい思いがした。叶わないと知っていながら、心を込めた分、悔しかった。

それでも、あんまり美味しくはないわたしたちのイイヤチを、おばあは「想いが詰まっているから美味しいねえ。」とそう言って、いくつも、いくつも食べてくれたのです。

涙がぽろぽろと溢れた、あのときの気持ち。忘れたくない。嬉しさと悔しさと、安心した気持ちと全部が混じった不思議な気持ち。この気持ちを絶対に、忘れずに生きていこうと思った強い気持ち。想いを感じ取ってくれたおばあに、心から感謝の気持ちを伝えました。

左はおばあのイイヤチ、右は私たちのイイヤチ

今回の出張でおばあに久しぶりにお会いすることができた。あのときと変わらない優しさに、その気持ちがさらに鮮明に思い出されてまたぐっときた。

あの日、まだ社会に出て1年も経っていないわたしにおばあが教えてくれたこと。それは、どんなことにも心を込めれば人にきちんと伝わるということ。真面目に、地道に頑張ったひとだけが味わえる気持ちがあるということ。そして、いつもどんなことも道のりは長くて、永遠だということ。それでも心に決めたことは、やり続ける意義があるということ。お金ではないところで評価してもらうことの喜びを、いつまでも忘れたくない。

今までうまく言葉にしてこなかったこと、心の中にぎゅっとしまっていたこと、今ならばちゃんと書き記せる気がした。言葉にならなかったあのときの想い、いつまでも大切に抱きしめて、心を守りながら生きていく。これは、再びの誓いです。

竹富島は海が美しく、異世界が広がっていて、非日常を感じられる。食べものはどれも沖縄らしくて新鮮で楽しい。どこまでも広がる青い空はいつだって素敵。冬だって温かい。たくさん、たくさん魅力はあるけれど、わたしはもっと島の精神的な美しさや力強さ、そういうものを伝えていきたいな、と思うのでした。どうして竹富島の海が綺麗なのか、街並みが美しいのか、そこまで考えていけるような観光を、作れたらいいな。

この想いを表現することにずっと迷いがありました。島にほんの少ししか密に関われなかったわたしに島を語る資格があるのだろうか、と。でも、今回島に訪れて、わたしはこの気持ちを誰かに伝えていかなければならない、そう強く感じたのです。だから書きました。わたしは、今のわたしに出来ることを、いつも、丁寧に考え続けようと思っています。

▼竹富島の文化を楽しめる星のや竹富島のアクティビティ・食事


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