遠くて不便だからこそ | 星のや竹富島
昨日、仕事中に山口由美さんの「世界の富裕層は旅に何を求めているか」という本の内容に触れる機会があり、「遠い」「不便」は魅力になる、というワードに心の中でウンウンと大きな声で共感しました。
本のレポはまた今度改めてシェアするとして、今の気持ちを言葉にしておきたく、パソコンを立ち上げました。
おとといまで石垣島と竹富島へ旅行に遊びに行ってきました。これまでのnoteでも書いた通り、竹富島は思い入れのある場所。単純にこの場所が好きだ、という直感めいたものもあるのですが、今ならばもう少しこの想いを紐解けそうな気がしています。
そこで、今日触れたこのワードがヒントになる気がしました。「遠い」そして「不便」である、ということについてです。
「遠い」ということ
これはわたしにとって一種の魅力なのだということはずっと分かっていたような気がします。なぜならば、移動時間が好きだから。というシンプルな理由です。
週に一度、千葉のはじっこから東京のど真ん中まで片道3時間かけての通勤を2年間続けられたのは、移動時間こそ、わたしの贅沢時間であるからです。何よりもの自由時間。本を読んでも、映画をみても、ラジオを聞いても、寝ても、なにもしなくても、泣いても、誰にも邪魔されない。夫からの電話も、母からの電話も、出なくていい。電車で通話するのはマナー違反だからね。
そして、遠ければ遠いほど。自分が何かから切り離されていく気がするのです。この感覚を抱けるのも「遠い」おかげです。自分の役割、立場、人間関係、そういうものから移動すればするほど切り離されていく気がするのです。何者でなくていい。たった一人、命がけで移動するただの人間であれる。
この感覚は、ある種の孤独感や寂しさ、不安感を与えるけれど、その感覚こそがわたしに「生」を感じさせてくれるような気がしています。
コロナ禍で近場旅行も流行りました。もちろんそれも魅力的。星のや東京は大手町の中心地にありながら、青森ヒバの一枚板の扉を抜けた瞬間に異空間
に没入できる。わたしも星のや東京は大好きです。
でもやっぱり、時間をかけて、遠くへ行くことでしか感じられない本能レベルで魂がよろこぶ感覚があるような気がしてならないのです。これは、わたしたちがかつて遊牧民であったこととつながりがあるのではないかなと思っています。移動すること、これこそ旅の醍醐味だと思っています。
「不便」であること
不便であることは、どう考えたってよくないのではないか?という感じがするのですが、でもこれは旅において一種の魅力なのではないか、そう思えてならないのです。
例えば、星のや竹富島の部屋は照明が落とされていて、どれくらい暗いかというと日が落ちると本を読むにも少し足りない明るさです。施設の中の道は足元が照らされるのみで、懐中電灯が各部屋には備えられています。夕食でダイニングへ出かける際には懐中電灯を持ってくるよう、お客様にも伝えます。
普段は眠る前に本を読むけれど、それさえできない。テレビもなければ、時計もない。スマホで配信ドラマを見ようとしても、なんだか電波もよろしくない。
では何をするのか。何もしないのです。その代わり、いつもより長めに湯に浸かる。家族や恋人、友人と話をする。そうして気が付くのです。様々な電子機器がなくても、手元に何もなくても、わたしたちには、人と話したり、ぼーっとしたり、風の音を聞いたり、虫や鳥の鳴き声に耳をすませたり、ただ横になり、ただ目を閉じ、自分の心の声と対話をしたり。余暇時間を自分自身の身体ひとつで十分に楽しみ、心身を癒す手法をさまざまに持ち合わせているのだと。
街灯のない竹富島では空本来の姿がありありと見えます。懐中電灯さえも消して、立ち止まり、顔をあげれば、「あぁ、あれが夏の大三角だね。」「今日は新月だね。」「明日はきっと雨が降る。」なんてこと、簡単に分かってしまいます。わたしたちが理科の授業で星座について学ぶのは、本当はとてもロマンチックなことなのかもしれません。
流れ星だって珍しくない。どちらの空へ月が沈み、朝がどこからやってくるのか。わたしたちが自然の一部であることを、心から感じることができます。
不便さは、わたしたちに人間本来の機能や感性を思い出させてくれるように思います。そして、それはこの地球という星を、世界を、人を、自然を愛する力をみなぎらせてくれるように思います。不便な旅の効能は、わたしたちの想像を遥かに超えて、明日からの人生を素晴らしくする可能性を秘めているのかもしれません。あぁ、昨日帰って来たばかりなのに、もう旅に出たいです。
衝動的に書いた散文ですが、27歳の旅への価値観の記録として。誰かの旅のヒントになれば幸いです。これからも、旅の秘密をたくさん紐解いていければな、と思っています😌
そうはいっても「遠い」「不便」な旅を選ぶのはちょっと勇気がいる、ということも理解できます。複数人での旅行や、価値観の異なる相手とはなかなか難しい。小さな子どもとは、高齢の両親とは難しいかもしれない。それならば、ひとりで、ただひとりで。一人旅という選択肢も時に持ち合わせてみるといいかもしれません。
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