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毒親育ちが「大人になってから」気付いたこととは?

毒親育ちが大人になってから気づいたこととは?


子どもの頃、
「親の影響なんてせいぜい子ども時代だけだ。たくさん努力して、自分の人生を、夢を、諦めないぞ!」と考えていました。
今現在、家庭環境で苦労していてそう思う方もいるかもしれません。
大人になった今、実際はどうだったのか?
私自身や周りを見ての気付きの記事です。

結論から書くと
「親の影響は生涯続くが、救いはあった」
一つずつ、書いていきます。


悪い面


手放しで遊べないまま大人になる


私自身ヤングケアラーの経験があるので
「私は子どもの頃からいつまで、何歳まで、家事をするのかな?」と思うことがあります。しかし、家事に関しては昔の時代よりも家電が進歩しており自動化できるところは自動化できるため、あまり気にしていません。
問題は、友達と遊んだりなどの経験がほとんどないことです。

一般家庭に育った人との「ズレ」を感じる


皆が既に知っていることを大人になってから知る
例えば、以前書いた記事の「乳液とチークの存在を20代後半で知った」など。

散々「天然」と言われましたが、「ぶりっ子」しているわけではありませんでした。


大人になってから心を壊す人が多い


非常に多いです。
大人になってから心を壊すパターンがとても多い。
よくある話ですが、
「大人になってから虐待されていたことに気が付いた。当時は自分が悪いと思っていた」
「虐待なんて大げさな…自分が悪いから教育されているだけだよ」。

「本当は辛かった」ことに大人になってから気付き、子どもの頃の悲しみが一気に襲い掛かってくる。
その激流に耐えられなくなる人を、SNSを通じてたくさん見てきました。
私は幸い主人の心理的サポートがあり、約7年の歳月をかけてその激流を乗りこえつつありますが、ふとした時にまだ治ってないんだな…と感じます。
大人になってから子どもの頃の記憶で潰されてしまう気持ちは、痛いほどよく分かります。実際に何度も心が折れそうになりました。

追々「(親から)食事を故意に別にされていた話」を書きますが、当時はそれが「当たり前のこと(日常)」だったため何の疑問も持たず、
大人になって結婚し主人と一緒に食事をするようになってから、
「なんてひどいことをされていたんだろう」と思うようになりました。


年齢制限のある職業に挑戦できない


基本的人権の一つである「職業選択の自由」をはく奪される

私は幸い、ハンドメイドという年齢制限のないものを「偶然」好きになり、現在まで活動を続けていますが、
人によっては親に恵まれなかったことで夢への道に挑戦することすらできない方もいます。

引用させていただきます。

・年齢制限のある職業
・その職に就くための試験を受ける回数が決まっているもの

例えば、「宝塚」と有名な「宝塚音楽学校」に挑戦できる年齢は14~18歳の4回のみです。
ほぼ未成年です。虐待を受けている状況で、受験をすることは出来るでしょうか?
答えは、書かなくても想像がつくでしょう。

日本において、未成年のうちの親の権利は絶対的なものです。
親の同意が必要なシーンも多数あります。
私は家庭環境で苦しみ、嫌というほど実感しました。

例えば高校生の時、学校の制度で留学(ホームステイ)があり、当時から英語が一番好きで大人になった現在でも毎日勉強している私は、興味を示しました。
しかし、母から言われたのは
「いや、留学とか絶対許さないからw」

「〇〇なんて絶対に許しません(サポートしません・お金出しません)」と言われれば、子どもは動くことが出来ません。

「それを覆してこその本気度でしょ?」という方もいらっしゃいますが、はっきり書きます。
覆せる程度の親であれば、それは「毒親」ではありません。
あの手この手を使って子どもの行動や思考を妨害し、市役所の人の注意も聞かないようなレベルの親がいるのです。
周りにいませんか?「あっ、この人ちょっとやばい、関わらないでおこう…え、この人子どもいるの?」という人。

私の場合も、もしあの時母が「気になるなら英語好きなんだしやってみなよ!応援するよ!」と言ってくれていたら、
高校生という感受性豊かな時期に貴重な経験を出来て、その感動で、英語の方面に進んでいたかもしれません。現在ハンドメイドの道に進んで後悔はしていませんが、時折ふと頭をよぎることがあります。


歴史上で一体、どれほどの子どもが「毒」親によって夢を潰されただろう。
以前書いた「子どもをもつことを資格制にしたらどうか?」という記事


もしこの案が通るなら、資格取得の際に「子どもの夢は公的良俗に反しない限り認めること」と書くべきでしょうか。
わざわざ書かないといけないのでしょうか?「子どもの夢を親が決めないこと」と。


「選択肢がなかった」
「本人が好んでそれを選ぶ」のと、「それ以外を選ぶ選択肢がなかった」では天と地ほどの差があります。家庭で苦しんだ人は後者が圧倒的に多いです。
この部分に関しては、お年を召した女性に支持を得られそうだと考えます。男尊女卑の時代に、女性であることを強いられ、苦労をした人の方が多いからです。


大人になってから「選択肢がなかったんだ」と気付くも、気が付けば30歳手前…「毒親育ち・毒親サバイバーあるある」です。


体の基盤が脆い

私と主人を比較して感じることです。
私:成長期にストレスのある環境に置かれていた。体調不良時にも対応してもらえなかった。食事は故意に別(一人)。
主人:成長期に朝、父親(休日は家族みんなで)ウォーキング(そこで道を覚えたり、会話を楽しんだ)。スイミングを習う。食事は基本的に家族みんなで。週一で質の良い肉を食べる、など。

現在、健康に対して色々頑張っても体調を崩し病院によくお世話になる自分に対して(以下、参考記事)

主人は健康そのもの。
よく主人と「やっぱり体の基盤が作られる時期の過ごし方って大切だよね」と話しています。

リスクに対しての考え方


親に恵まれた人はリスクをとりやすい
うつ病、転職、起業など…大きな変化がある際に、後ろ盾なしに行動することは非常に勇気がいることです。

例えば、
「これを成功させなければあなたの大切な人が死にます」
という状況で、
Aさん:必ず助かる救命器具が備えてある状況
Bさん:何もない
大切な人が死ぬ可能性の時にリスクがとれるでしょうか?きっと尻込みして止める人の方が多いでしょう。
大袈裟な例ですが、大きなリスクを伴う転機は人生で何度か迎えるものです。



親に恵まれている人は、能力にブーストがかかる


「ブースト」とは
分かりやすいので以下の記事を引用させていただきます。

「どういうこと?」と思われる方も多いと思うので、以下に例を二つ挙げます。

容姿の例


個人的には容姿(≠見た目)で判断するルッキズムの世界が苦手なので、マスク社会に安堵している立場ですが、世の中の多くの人は、見た目の重要性を説くでしょう。


最初から容姿に恵まれていれば、早い時期から良い目に遭う
生まれから目鼻立ちが整っていれば、子どもの頃から褒められたりなど良い目を見ます(誘拐などの危険性もありますが、ここでは略します)。
さらに、お金をかければかけるほどさらに良くなります。
人生の選択肢も、「モデル」が追加されるかもしれません。

もし容姿に恵まれなかったら、いじめられたり、暴言を浴びたり、理不尽な目に遭ったり、その出来事によって心身を病んだり…。

整形しようともなれば、お金も時間も膨大にかかります。

太字の部分を「」に置き換えたものが、
親に苦しんで生きてきた人の気持ちの例です。いじめられたり…のくだりは頭に「親に」をつけます。


もし、とびきりの美人から「容姿なんて関係ないよ!人間、性格だよ!」
と言われたら、容姿で悩んだことのある人であれば
「恵まれているからそんなこと言えるのでは」と心の中で思うかもしれません。

毒親育ちが「親なんて関係ないよ!人生、本人の努力だよ!」と言われるたびにモヤっとする感情は、おそらく上記が最も近いのではと個人的に考えています。


芸能人の例
もし親が両方とも芸能人であれば、芸能界デビューを志望した時も、一般人と比べて早いかもしれません。

同じような容姿・能力であっても、背中を支える者の違いがあれば、良い事務所を紹介してもらえたり、信頼できる人を教えてもらえたり…

話はそれますが、モデル・女優の性被害の点から見ても、親が芸能人であった場合とそうでないとでは…いかがでしょうか?同性ならきっと書かずとも分かっていただけるはず。

これはあまり良い例ではないかもしれませんが、一例として載せました。もしかしたら「政治家」もそうかもしれません。


親は変わらないということ


25年頑張ってみましたが、変わりませんでした。
「私が努力すれば…」「もっと頑張れば…」「もう少し耐えれば報われるかも…」
私なりに努力を続けてきましたが、開腹手術が決まった際に私の心配より自分の感情を優先する母を見て
「あ、この人は変わらないんだな」とようやく気がつきました。今まで張り詰めていた細い糸が弱々しく、切れる音がしました。
「いつか」を夢みてつい25年も頑張ってしまいました。

生涯資産に大きな差が出る

仮に
親に恵まれている人をAさん
毒親育ちのBさん
とします。


就職して実家暮らしの場合


Aさん:余剰金で自己投資や株式投資をし、資産を増やすことが出来る
Bさん:給料を親に奪われる(資産が減る)

親に恵まれている人は「それなら独り暮らしすれば良いのでは?」と思うかもしれません。
しかし、金銭的虐待を受けている人は親にお金を奪われ預貯金がないため、なかなか家を出ることが出来ません。
もし、同じ家の中に、泥棒と自分の身分証明書があったらどう思いますか?(いや、泥棒というより強盗の方が表現的には近いかもしれません)

Bの例で「ゲイ風俗のもちぎさん セクシュアリティは人生だ。」を書かれている望月もちぎさんはツイッターで
「(田舎暮らしにも関わらず)就職したら家に13万入れろと要求された」と書かれています。

実家を出ることが出来るのは毒親育ちの中でもかなりラッキーな方なんだな、と自身の経験から思います。

これは経験者しか共感してもらえない話ですが、
親に恵まれた者が
「自己投資や、友達との思い出作り」をしている時、

親に恵まれなかった者は
「(生活や勉強に)必要な物を買うために働いている」。
もちろん、労働から学べることはたくさんありますが、どうしても、夢や願望を叶えるまでにタイムラグが生じてしまうだろうことは否めません。


もしもの時の拠り所がない


就職してパワハラ・モラハラでうつ病になった時
Aさん:一旦実家に戻って回復するまで休むことが出来る
Bさん:自力で全部何とかするしかない

妊娠・出産
Aさん:親を頼れる
Bさん:親を頼れない、親が子どもに危害を加えないか細心の注意が必要

これは私の話ですが、実家がとても裕福で、親を全力で頼れる親戚から
「子ども4人目産まれました!あと、新築戸建てを建てました!」との連絡を見た時は
「親に恵まれている人の輝き」を感じました。やはり、親の金銭・心理的サポートは偉大。





「親ガチャ」という言葉

関連する内容のため、記載。
「親ガチャ」という言葉があります。この言葉を嫌う方も多いですが、前提として、そもそもこの言葉が生まれた背景を考えなければなりません。


自分を自分たらしめる要因は「遺伝子的要因」50%、「環境要因」50%と本で読んだことがあります。これが正しいのであれば、生まれ持った本人の能力があったとしても、機能不全家庭に生まれてしまった場合、環境要因が足を引っ張り、能力を最大限に伸ばすことは難しいことになります。

日本でこの言葉が生まれた背景としては、度重なる増税による日本の貧困化が大きな要因の一つではないでしょうか。

子どもの頃の選択肢


「子どもの頃の選択肢の多さは、親の資産次第」
子どもが「これを習いたい」と言えば、習える環境を用意することが出来る。本人が望めば望むほど、様々なことにチャレンジさせてあげることが出来る…
アルバイトが出来る年齢となれば話はまた変わってきますが、子ども時代の選択肢の多さは親の資産次第。
残酷ですが、これは間違いないでしょう。



良い面

腐らず努力を続けていれば、周りが助けてくれる


自分の置かれた環境に腐らず(これがまた非常に難しい)努力を続けていたら、周りの人がとても協力的で、本当に心理的・経済的に助けられました。

子どもの頃、大人が言っていた「努力を続けていれば誰かが見ていてくれるよ」は嘘なのではないかと思っていましたが、人生を通じて検証した結果、この言葉は真実でした。

私自身、「親にこそ恵まれなかったけど、人生のパートナー、友人、お客様、仕事仲間には本当に恵まれたな…充分すぎるくらい恵まれているじゃないか」と常々思います。
もしかしたら、人生単位で考えると、帳尻合わせが出来ているのかもしれません。


人によって受けた傷は、人でしか治せないことを知る


「人によって受けた傷は、人でしか治せない」と考えています。
私の人生の話をして、涙を流した友達、知人がいたのですが
「なんてきれいな涙なんだろう」と思っていました。私なんかのために泣いてくれるの?と。
親以外は本当に人に恵まれました。

ある程度、心の落とし所が見つかる


親に恵まれないなか、いろいろ試行錯誤して「心の落とし所」が見つかりつつあります。
私の場合であれば、上記の
「親にこそ恵まれなかったけど、人生のパートナー、友人、お客様、仕事仲間には本当に恵まれたな…充分すぎるくらい恵まれているじゃないか」です。自分がいつ死んだとしても、きっと最期に私はこのことを考えるのだろうな、と思っています。


答えは人の数だけあります。最初から諦めるか、試しに答えを探してみるかはその人の自由です。




おわりに


今回の記事では
「毒親育ちが大人になってから気付いたこととは?」をまとめました。
備忘録として、ここに書きました。


2022年5月27日 フェイクスイーツクリエイター ユウミンカフェ

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