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不登校は他人から見れば、当事者が勝手に選択したもの?

 昔、非不登校経験者に対して不登校の意見調査をしまして、こんな肯定的意見が多かったです。

本人の選択だから

特にこの意見は問題なことではなく、多様性を尊重しながらも自分は関わらない(が故にマイノリティも干渉されず過ごしやすくなる)という一番賢い意見と思います。

ただ、不登校を「よし!明日から不登校になるぞ!」と思い選択する人はいなくはないと思いますが、身体の不調で行けなくなることも多いと思うので「選択したくて選択したのか」と言えばそうではないと思いますし、不登校を選択したいと思うようになることを望む人はいないのではないか?と考えます。
不登校を選択せざるを得ない学校の環境」があることが問題だと思っていますので、不登校の全てが全て「本人の選択だから本人の自己責任」だと思いません。不登校になる要因は様々で、もしかしたら人によって自己責任の割合は変わるのかもしれませんが、ほとんど環境も要因にあるということで「本人だけの責任」ではないと思います。

なので、「本人の選択だから」という意見は少しその人の自己責任でしょうという意見が見えなくもないことに疑問を持っています。(そういう意図ではないと思いますが…)
「あの人は辛かったから不登校を選択したんだ」と「本人の責任」を強調するのではなく、「辛くするような学校環境」に世の中の人が疑問を持つようになると、より不登校への理解が深まるのだと思います。

例えば毒親家庭で育ちたくて育つ人はいないと思うのですが、ある人が毒親家庭から家出してきたと、それで「家出という選択は否定しない」というのは全く間違いではありませんが、その先にある選択せざるを得なかった環境を問題だと捉えられたら理解力がありますし環境を変える一歩の手立てかもしれません。

学校の環境が問題である事、不登校界隈ではこのような話は承知も承知で初歩的な意見ですが、「選択したくて選択した人はいないと思うよ」というのも世の中に広まるといいなと思いました。

 ありがとうございました。
 
 冬譜

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