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「普通のクラス」が「普通級=世間一般の社会」。特別支援級と普通級が分かれる意味が分からない。

◇学級で隔離し普通という偏見を助長させる

小学校中学校には「普通級」があります。そして、知的、身体、情緒、発達の障害を持った「特別支援学級」があります。

 特別支援って名前、違和感があります。人間の個性は健常者の中でもそれぞれ違いますし、障害者の中でもそれぞれ違います。そうやって「この人は特別」「この人は普通」と分けるから「普通」や「世間一般」の偏見が助長されるのだと思います。

 世の中には健常者も障害者も混合した社会であるのに、障害者と健常者をお互いに隔離させて交流の機会を与えない教育は健常者の為にも障害者の為にもならないと思うのですが…。

不登校と関わりが無ければないほど偏見は強くなります。それはどのジャンルの人でも同じであって、障害者と関わりが無ければないほど障害者への理解はないですし、外国人と関わりが無ければないほど外国人への理解は無いと思います。
なぜかというと、関わっていれば多少なりともその人との違いやなぜこの人はこう考えるのか?という疑問を持ち理解しようとしたり、一緒に過ごしていて悪い人でなければ悪い人ではないという理解を持ったりすることができますが、その理解しようとする機会さえないからです。

 特別支援学級では「通級」というものがあるけど、なぜ障害者が健常者に合わせて通級しなければならないのか?といまだに疑問です。普通級から特別支援級に通級してきてもいいと思います。マイノリティがマジョリティに合わせなければならないような社会の縮図を思わせます。
 


「普通級」が子どもにとって社会であり、入れないことが「社会からの脱落」を意味する。
「普通級」のなかにも個性がそれぞれ違うのに、「普通」として大勢をまとめ「同じよう」にしようとすることが、「普通」や「世間一般」という偏見を生む。

なので、「普通級」や「特別支援学級」の定義を無くして障害者も健常者も関係なく同じ空間で教育を受けさせ、少人数にして個性を出しても安心できるような学級にすれば、もっと「世間一般」や「普通」という偏見が無くなっていき、「生きづらさ」も少なくなっていくと思っています。(そもそもクラス制度に疑問を持っています。)

何十年かけても無理だろうと思われるこの考えを、世間の皆様はどう思うか気になるところです。

 読みにくい文章でしたが、読んでいただいてありがとうございます。

 冬譜

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