欲しい言葉は他者から、あなたから
人は
自分が自分に出来ていないことを
誰かに求めてしまうように思う
「愛されたい」と思うのは
自分が自分を愛せていないから
「認められたい」と思うのは
自分が自分を認められていないから
「優しくされたい」と思うのは
自分で自分に優しくしていないから
「誰かに愛されなかったから」
自分を愛せないのではなく
そのことによって
自分への愛が揺らいでしまって
自分で自分を愛せなくなったから
自分を疑ってしまうから
ずっと苦しいのだと思う
生まれた時はみんな
「自分」しかなくて
当たり前のように
自分を1番に考えて
自分への愛でいっぱいで
でもそれは
自分しか見えていないから
そこから
少しずつまわりが見え出して
自分を愛してくれる人を認識して
でも
その人たちも
自分を1番に愛してくれる訳ではないことを知って
そして
自分を愛さない人のことも知って
自分と比較して「優れている」なと思う
たくさんの人を知って
そうして少しずつ
自分の“自分への愛”が削られていく
「こんな私は愛されるのに足るのだろうか」
「愛されるように頑張らなきゃ」
と
自分の能力を疑ったり
誰かの意に沿うように励んだり
するけれど
基準を周りに置いている限り
ずっとずっとその欠けは
満ちることはなくて
だって
そこを満たすことが出来るのは
自分だけだから
他者を知り
他者と比較して
たくさんの違いと
たくさんの優劣を認識して
それでも
自分は自分として生きていいし
自分で自分を愛していい
と認識するための
ストーリーを
みんなそれぞれ
歩いているんだなと思う
そして
「自分のままでいい」
と知ることのできる鍵
ほんの小さなひと言は
他者からしか与えられないように
出来ているのかもなあと思う
それは
人が集団で生きる生き物で
集団で1つの生き物であるような
だから
この共同体のために
共同体を自分と同じと認識して
愛せる者に
同じように愛が返ってくるのかもなあと思う
自分で自分に愛の言葉を与えられないときは
まずは
他者に与えてみることから
始めてみるのはどうだろうか
すぐに思う答えが
返ってくる訳ではないだろうけれど
言葉を手渡す経験の先に
見えてくるものが
あるのかもしれない
そしてその時は
上っ面の薄い褒め言葉ではなく
気付いた美徳に心からの賛辞を
「みんな気付いてるよね」
と思うかもしれないけれど
「自分だけが気付くこと」
もたくさんあるし
それを伝えるお役目を
いただけているかもしれない
と思って
素敵に思う他者にこそ
そう感じた時に
愛のある賛辞を
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