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凸と凹は、人生をかけて楽しむ遊び

誰でも凸と凹を備えて
生まれてきていて

それゆえ、幼い頃
凸の部分がまわりの人とぶつかって
お互い痛い思いをして

「相手に申し訳ない」と
「自分も痛い思いをしたくない」と

その凸を
一生懸命、削って削って
平らにしようとする


そうすると
今度は凹が気になってくる

ここが凹んでいたら
「平らにならない」と
一生懸命、何かで埋めようとする

でも
取って付けたものは
すぐに剥がれて、流れ出して

そのたびに
埋まらない穴を見つめては
自己否定が深まっていく


けれど

そんなことは
実はひとつもしなくてよくて


自分の凸が
そのまま受け入れられる場所が
この世のどこかに
あったりするのです!
(そう、ドラ○ンボールのように!笑)

そこを見つける旅をするのが
人生の山の登り部分、かもしれなくて


凸があるからこそ
そこにぴったりハマる凹と出会ったときの
お互いの嬉しさったらない!!

逆も、しかりで

ちゃんと凸凹をハッキリさせておかないと
世界の誰とも
どんな物とも
ぴったりハマらないんじゃないだろうか


平らに平らに削る作業は
世界の誰とも
何ともピッタリ当てはまらなくなる
むなしい作業

平らな私は
誰の心にも引っかからないし
誰も心に引っかからない

そんな人生
寂しすぎる!!


凸が誰かとぶつかったって
凹に不足を感じたって

凸が誰かにぴったりハマって喜びに変わること
凹が誰かの凸を輝かせる鍵穴になること

それに勝る喜びはないなと
思うんです


きっとこの世は
自分の凸凹を
たくさんの人の凸凹と
合わせていく
盛大でスペクタクルな遊び!

つまづいても
転んでも
一緒にこの無限のゲームを
楽しんでいきましょー♪

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