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歌を贈られる体験を通して

今年のお誕生日は
何人もの人に
何度もバースデーソングを
贈られる体験をして

それがなんだか
こそばゆくもあり
脳が蒸発しそうなくらいの
嬉しい体験で

それで気付いたのは

「集団で歌を歌う」というのは
ものすごくプリミティブな行為なんだなあ
ということ

思考が満足するというより
肉体として満たされた感覚が強いというか


人は言語を獲得する前は
歌で交流していたのでは
という説もあって

集団で歌うことの一体感は
今 日常ではなかなか体験できない
特別体験で

それを贈ってもらうことも
もちろんそうで

でも
元々の人間として
きっと何千年もそうしてきた行為で

だからこそ
肉体の深く深く
心の奥の奥の方に
響いて 届いて 残る




友達からプレゼントを贈られたとき
とてもとても嬉しかった

その「嬉しい」が
形として存在し続けてくれるから


でも
お花を贈ってもらっても
とてもとても嬉しかった

数日しか存在しないけど
心にはずっと咲いていてくれるから


そして
バースデーカードを贈ってもらっても
とてもとても嬉しかった

紙に書かれた文字だけだけど
それは幾万の言葉の花束に思えた



歌を贈ってもらって思うのは

それは幾千万の
心を包む花びらであり
心を染める染料であり

何も形に残らなくても
目に見えなくても

この体験 経験は
私の心と身体に
ずっとずっと 残り続けて

私の何かを変えてゆき
いつか何かの形となって

この世界に生まれなおすんだろうなあ
ということ


人は目に見えるものに捕らわれて
囚われて

目に見えないもののことを
おろそかにしてしまいがちなのかも
しれなくて
 
だからこそ

そこに繋がれる何かを
よすがを
欲するのかもしれなくて

そういう

目に見えないところと
繋がれるものを
描いていけたらいいなと
 

目に見えないものを
どうやって目に見える形で
ここに具現化するかに

心と体を捧げていきたいなと思った




そして
私も誰かの誕生日に
さっと歌を贈れるような
自分で在りたいなあ…と
すごーーーく思った!!

「じゃあ 歌おう!」
って発想が
無かったな と

こんなに嬉しい体験なら
(相手が喜ぶ人であれば)恥ずかしがらずに
歌を贈れる人で在りたい

買ったままだったウクレレさんで
まずはバースデーソングを弾けるように
練習してみよう

このプリミティブな体験を
みんなが
当たり前に
贈り 贈られる世の中に
なればいいなあと思いつつ



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