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自分の心の禁足地を、しっかり把握すること

最近気付いたのだけど

私は
私に「女性としての振る舞い」を
押し付けてくる人が
大キライなのだろうなあ
ということで
 

だから
女性の集団の中で
「自分たちと同じような女性らしい振る舞い」を
求めてくる時に
「世間的にはそれが正しい」ゆえ
それが嫌だと言えないことに
息苦しさを感じる
 

それとは別のベクトルで
私を「性的に女性」として見てくる男性に
同じように息苦しさを感じるのは
「性的に女性である」ように取り扱われることで
「性的に女性である」ことを押し付けられているように感じるからかもしれない
  

どちらにしろ
私の「在るべき形」を勝手に決めて
それを強要しているように感じるけれど

相手にとってはそれは悪意ではなくて
むしろ私のことを思って言ってくれていたり
私に好意を持ってくれているゆえなのに

申し訳ない、
こんな風に否定的な感情を持つなんて酷いじゃないかと
自分に対して思っていたのだけれど
 

まあ
ぶっちゃけ本人が嫌な気分になるなら
「大きなお世話」だし
「無理して有り難がる必要なんてない」もの
ともいえるよねと
 

ふと 思えた
 

まあ
こんな風に纏めると
ほんと酷いなとも思うんだけども

どんな素敵な感情も
心も
たとえ愛でも

相手が嫌な気分になったら
全部裏返るんだぜ、とも思う


この言葉は
ブーメランのように跳ね返るので
たぶん他人の好意を無碍にできない心が
染み付いてしまってるんだろうけど

自分の禁足地を大事にしていた方が
相手の禁足地にも敏感になれて
土足で踏み込まなくなるかもなと

ちょっと心のKEEP OUTのテープを
引き締めてみようかなと
思ってみた夜



そんで気付いたのだけど

自分で自分に「女性らしく振る舞うこと」を
強要していた時期って

たぶん
自分のことが
めちゃめちゃ嫌いだったんではなかろうかということ

そりゃあ
いくら「世間的にみて変じゃない女性」
として振る舞っていても
世間から変な目で見られなくても
全然幸せな気持ちになれないはずだよね
 

だって
すんごいヤなこと
自分で自分にさせてるんだもん
 
 

世間から否定されなくて幸せ
なことと
自分から否定されなくて幸せ

どちらもあってほしいけど

どちらか選ばないといけないとき
自分の方を取らないと
疲弊してくよなあと思う

まあ
バランスは大事だろうけれども

うまく折り合いをつけつつ
自分を大事にしつつ
生きてきたいよね


2024/2/15


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