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正しいより 楽しいで生きる

私が私がらしく「楽しい」をすると
「正しい」から遠くなる気がする
 

誰の、何の「正しい」なのかと
言われるかもしれないけれど
おおよそ多くの人が思う
「正しい」からである
 

じゃあ
正しくありたいかと問われたら
正しくありたい

楽しく生きたいけど
正しくありたい
 

なぜ
正しく生きたいかというと

正しくないと
人を傷付けたり
不快にさせたりするから


私の中の真っすぐは
外の世界に出した途端
ぐねぐね曲がっていて

いろんなものに
人に
ぶつかるから
 

ぶつかるとね
痛いから

でも
自分が痛い以上に
ぶつかった相手が
痛がってるかもしれない

それが本当に申し訳なくて
そんな自分であるとこがつらくて

なんでこんな形なんだろうと
泣きたくなる
 

だって
誰かを傷付けるような形で生まれてきたなんて
思いたくなくて

どこにも
誰にもぶつからないよう
きれいにきれいに凸凹を
なめしていこうと

するのに
するけど

どんなに削っても削っても
塗り足しても塗り足しても
どうしても凸凹する

でもね

ぶつかるのは
実は世界中のみんな
凸凹だからで

それがぶつかるのって
当たり前のことなのかもなあ
と思う


するべきことは
もしかしたら

ぶつからないように
「削ったり 塗り足したり」するんじゃなくて

ぶつかる前提で
どうやったら
その速度を緩められるかとか
ギリギリでかわせるようにできるかとか
痛くないように柔らかな面を用意しておくとか

そういうことなのかもしれないなと
思った


心は柔らかだから

その柔らかなものに
触れても大丈夫な
柔らかな接地面を用意しておく

それが トガリすぎたり
固くなったりしないように
生きていけたらいいな


と思うし

この凸凹が無くなったら
きっと誰とも
凸も凹も
ハマることはなくって

だから

より深く
凸凹を出していくほど

より深く
誰かの心の凸凹に
刺さり
届くのかもね
 

だったら
いいね


だから今日も
正しいより
楽しいで
生きてこうね

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