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自意識の肥大を捨てて、自己愛を高めるために

『海が走るエンドロール』を読んでいてふと思い出したのが
学生時代特有の
あの肥大した自意識のこと

自意識は
「自分で自分がどう見えるか」の塊で
若い頃なんてそれほぼ100%でしかなくて

自分の枠からもはみ出して
周りにもその認識を押し付けたくて

だから
違う答えが返ってくるのが怖くて
自分を隠して押し騙って殺して
でも認めてほしくって

少しでもこの自意識に共感して
受け入れて
否定されない匂いを探しては
飢えた野良犬のようにうろついていたように思う


ここを打ち破るには

他者からの否定で
揺るがない自我を持つしか
ないんだよねと思う


それをするための
Beingの愛を
親から惜しみなく与えてもらえたと
認識できた人以外は

それに代わる体験を
どこかで出来たらいいよね
と思う


それゆえに多くの人は
恋愛の愛を代替としてみたり
友情を代替としてみたり
社会的な賞賛を代替としてみたり
するのかもしれないけれど

それらは幾ら膨らんでも
どこかに穴が空いているかのごとく
いつまで経っても満たされなくて

なぜなら
親からのBeingの愛で本当に得ていたのは
親からの愛ではなく
自分からの愛なんだよねと
思うんですよね


幼い頃は
そこの区別がつかないから
親=自分 になっているから

親に愛されたと思う人は
自分に愛されたと思って
育つことができるんじゃないんだろうか


だから

幼い頃に
「親に愛さなかった」と思って育って
自分で自分を愛することが分からなくなってる人
愛し方を見失っちゃってる人は
どうにか
自分で自分を愛せるように
なるしかないんだなと思うのです

親に文句言ってみたって
仕方ないんです

向こうは愛してたとしても
伝わらなきゃ意味無いし
過去にだって戻れない

でも
自分で自分を愛すること出来れば
何歳からでも
1人ででも
自分を肯定できるようになるから
希望のある事だなあと思ってね


そのためには
「何かが出来た」を積み重ねるより
「駄目な自分」を受け入れることの方が
効果がある気がしている

前者の方が
自己肯定感上がりそうだよねと
ずっとやってきたけど
「何かが出来ない」自分にぶち当たるたびに
自己肯定感が下がりまくるチキンレースみたいになるだけで
本当の意味での効果には
ならないと思うようになってきていてね

「こんな駄目な自分もオッケー」
「まわりに知られて大丈夫」
と思えることが
たくさん増えれば増えるほど
自己肯定感って
増してくんだよなーーー

最近物凄く思うので

過去を振り返って
「ああ こういうとこ楽になれたなあ」
という気付きの
お話のシェアをば


美大の頃のことを思い出すなあ…と、あの制作発表でゴリゴリ削られる感じを思い出しつつ、絵も表現もテーマも、チクリチクリと心を刺してきて、続きが気になってる作品のひとつです。

2023/11/13

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