見出し画像

誰かの言葉に傷付かないように

私の見る世界はいつも
色と模様のレイヤーがかかっている

その様は
少しプロジェクションマッピングにも似ていて
それ本来の物質とは別のものだけれども
それから発せられているというか
生じている何かで
(だからプロジェクションマッピングを見てもフツーというか いつもの景色というか そっちの模様や色が見えにくくなるんだよな〜とか 物質のあるところにしか表示されないんだ、っていうちょっぴり物足りなさとか もっとなんかこう 立体的にいろいろ出たりしない?とかちょっと思っててほんとごめん!)

時と場合によって
移ろうもので

皆それが見えていると思っていた

肌の色を“肌色”だとわざわざ言わないように
草木の緑が「どんな緑か」を照合しないように

見えているものをわざわざ
事細かに確認なんてしないから


だから高校生のとき
初めて気付いて驚いた

学生時代はみんなそれぞれ
「自分のキャラクター」というのを自分に課して
どこか「皆に好かれる仮面」を被って
登校しているように思う

だから
普段 友達と接していて
そこまで色のブレや揺れを
感じることが少なかったのだけれど
(日々少しずつはあるけれど)

その日
いつもパステルグリーンやパステルイエローの色を纏う
ふわふわの子が
笑顔はいつもと変わらないまま
ドブを攫ってきたようなドドメ色を漂わせていて
さすがにびっくりして思わず

「どーしたん、今日めっちゃドドメ色やん!」

と言葉を発した後の
まわりの「何のこと?」というポカーンとした顔が
今だに忘れられず…
(まあ、色の表現の仕方や言い方も悪かったのかもだがそういうことではなく)

その時初めて
「あれ? これ見えてるの私だけ?!」
と驚き
凄く不安と寂しさと
言葉にならない息苦しさとを覚えた記憶が
べっとりとある


「このことを話してはいけないんだ」
という禁忌は
自分の心を重く鈍く
蓋をさせる


大学に進学してからは
下宿先がちょっと場所的にかなりヤバくて

毎晩金縛りで寝れなかったり
変なものを見たり聴いたりするのが日常で
ほんとつらくて…

というのを
ちょっと耐えられなくて誰かに話した時も

「痛い子」や
「変わったアピールをしてキャラづくりしてる」「目立とうとしてる嘘」
的な言葉を言われたり
やんわり思われてる空気で伝わってきて
その度に薄っすらと壁を作りながら
傷付いていった

そして誰にも言わなくなった


「気のせいだ」
と思い込んで見えないように
現実のことにだけ焦点を当てて暮らしたら

出口の無いエネルギーが溜まっていって
どんどん腐敗して心身ともに具合が悪くなって

もうほんとこれは
どうしょうもないな
ってくらいのところまできた

このままだと
衰弱してくなって
ちょっとかなりヤバかった


見えてるものを
見えてないって否定し続けることは
自分に嘘をつき続けることで
自分に嘘をつかせ続けることで

ずっとずっと
自分で自分を否定し続けることになるから
 
 

そうして諦めて
見えるものをちゃんと見て
一緒に暮らそうとしたら

少しずつ少しずつ
世界が穏やかになってきた


自分が自分を否定したままだと
健やかに生きられないことを知ったから

もし
人と違うことで
何かを言われて
その言葉のままに自分を否定してしまっている人が居たら
そっと言葉をかけてあげたい


あなたと誰かが違うのは当たり前だし
あなたの感じ方、見え方を誰かが否定しても
その言葉を受け入れて、自分を否定しなくていいんだよ

その人は世界のすべてじゃないし
正解じゃないし
その人の見え方も感じ方も
その人だけのものだから

変だねって思うのはその人の勝手で
変じゃないって思う自分も
同時に在っていい

そして
変だねって言う人からは
そっと遠ざかって
変じゃないって言う人の輪に
加わると良い

きっともっと変な人もいて
「私なんて全然フツーじゃん?」
「むしろもっとヘンテコを出していいじゃん?」って思えるから


自分と違う誰かを否定する人は
幼い

違う他者を受け止めるだけの
土壌が 余白が
無い
 

そんな人の言葉に
縛られ 支配され
歪められる必要なんて
ちっともないんだってことを

心のどこかに置いておいてもらえたら

心無い否定の言葉も
少し軽く
ペイッとできるかも
しれないよねと

涙の海に沈むあなたに
静かな応援のエールを送る


2023/10/13

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?