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本当の自分を映す鏡、歪んでいませんか?

子供の頃に大好きで何度も見ていた映画
『ネバーエンディングストーリー』

その中で
主人公が感情移入しながら読む本の
冒険者?にアトレーユという少年がいて

その少年が受ける試練の中に
「自分の真実の姿が映る鏡」
というのがあってね

それを解説している小人のおじいちゃんが
「自分の本当の姿を見せられるのは怖いものだ、それに彼が耐えられるか…」
と言っていたのが
当時全然ピンときてなかったなー

というのを
思い出したの

「いやいや、そんな違います?」
「そんなショック受けるもん??」
みたいな


これって
全然自分の本当の姿に
目を向けていないからこそ
こんな風に思えるのかもなーと思って

無意識に 心の中にある
「自分の本当の姿が映る鏡」を
歪めて
上からペンキで上書きしまくって
本当の姿が映らないようにしてたんだなあ


いうことに
ちょっと思い至り


「本当の私」
を理想的に作り上げて
「今はそれに至れていないだけなんだ」
というマインドだったのかもしれないなとも


虫が
幼虫から蛹になり
蝶にメタモルフォーゼするように

人も変化していくのだから
「蝶型にフォームチェンジしてるところだから!」
みたいな思考というかw


いや
なんかこう
上昇志向って
無意識にいろんなところで
植え付けられてるのかもだなあ

(「みにくいアヒルの子」とか、作者の意図からズレたりして「ほんとの私はアヒルじゃないから!」みたいな言い訳ツールに使えてしまうというか)


そりゃあね

いろんな経験して
改善したり
変化したり
それはある

勿論ある

でもね

どんなにどんなに変えようとしても
自分の変わらない本質ってものも
もちろんあって

それがネバーエンディングストーリーでいうところの
「本当の姿が映る鏡」なのかもしれないなあ

「そんなの本当の私じゃない」
「そこも変えれるはずだ」
と必死でもがいてるのにそれでも変えられないところって
自分の1番見たくない姿なのかもしれない




だからこそ

そこをちゃんと見て
心の鏡に映して
認めるところから初めて
本当の自分が始まるのかもなあ


思ったのです


理想の私は

いつも穏やかに微笑み
上品で
思いやりや気遣いに溢れてて
人に譲ることも厭わず
人を決して不快にさせたりしないような
控えめな人

だけれどもよ!w

どうだいどうだい
ほんとの私は

感情の起伏が常にジェットコースターだし
子供っぽくて 感情表現がオーバーで
こだわりが強すぎて譲れないことばかりで
他者との距離感バグりがちで気付いたら何かしらやらかしてて
よく物を落としては壊し なくしては探し
そして せっかちでイラちで短気で
喧嘩っ早いときたもんだw

あああ
見たくなかった!
認めたくなかった!!

分かってたけどさあ
「ちょっとずつマシになっていってるから!」
「到達点はここじゃないから!!」
みたいな言い訳をさあ
ずっと自分にしてたように思うのよ…

まあ
喧嘩はね(兄弟喧嘩だけど)
思春期以降は物理的に難しくなって
しなくなったなあとか(だから下手に格闘できる肉体になるときっと良くないのよこの人w)
イラちなところは 出来るだけ人前で出さないように気をつけようとか
抑えられるところは
おさまってきてる

けど

どうにもおさまんない部分を
それでも少しずつ削って
何とかしようとしてたのかもなあと


あるのよ

これはもうある

ずっとある


だから
どうやって付き合ってくか
どうやったら他者や世界とその部分が折り合いをつけれるか
方法を探していく方に
シフトチェンジしよう

してもいいって
ゆるしてあげよう


子供の頃に大人げない大人を見ててさあ
「何でちゃんとした大人にならないの、こんなに膨大な時間があってできないなんて 努力と気合いと本気度が足りないんじゃないの」
みたいに思ってたけどさあ(酷いなこの子)
できないことは 大人になってもできないんよね!
それもいいんよ と この厳しすぎる
我の子供の時の視点からも 自分を解放してあげたい(苦笑)


私のままで
自分からも
他者からも
心地よく接せれる方法や距離感を
見つけていきたいなと
思う夜


2024/4/29

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