英雄たるの条件、北一輝編

 歴史という人類の偉大な記録の蓄積を眺めていると、現代にはとても見当たらないような、スケールの大きい人物というのがしばしば出てくる。

それは三国志の曹操であるとか、幕末の西郷隆盛であるとか、西洋ではナポレオンなど、乱世にその人間性の大きさで名を残した人物である。

我々では到底及ぶまいが、それでも自分もかくなりたいなあ、と思うのが人情であろう。

そこで、彼ら歴史に名を残した人物、特に私がそのスケールの大きさに感銘を受けた人物を選び、その共通点を挙げることで、諸君の生きていくうえでの参考にしてもらいたい。


まず今回は北一輝に焦点をしぼる。彼は日本史を少しやった者なら分かるかもしれないが、現代では少し知名度が低いかもしれない。けれども歴史に与えた影響、そして彼自身の人間的大きさには目を見張るものがある。

 北一輝は主に昭和の226事件において名を表す。この陸軍皇道派の叛乱の首魁とみなされ、民間人ながら死刑にされた二人のうちひとりである。

 このことから、天皇親政を求めた青年将校たちの理論的支柱、即ち右翼的人物の巨魁とみなされ、評価されてきた。

しかし、これは彼の真意ではないのである。
北一輝、彼はなんと、自らが天皇になろうと考え、そのために様々な策を労してきた人物だった。青年将校らは北一輝の真意に気づかず、その表向きの主張、理念に影響をうけて叛乱をおこしたのである。

まず、彼の若い頃の著作「国民対皇室の歴史的考察」「国体論及び純正社会主義」には、既にほとばしるほどの天皇制に対する反発がみてとれる。

それが、226前の著作「国家改造法案大綱」においては、天皇を国民の総代表とし、天皇の名の元に大改革をすべきと説いた。

これは左派から右派に転換したようであろう。しかし、ここが彼の恐ろしいところである。

「天皇という歴史的に実権を持たぬ存在にあらゆる権力を集中させてみろ。必ず天皇のそうした実態が国民に明らかにされ、天皇制は解体される」

こうした本音を身内には漏らした、つまり彼の真意だったのだという。つまり、天皇を貴ぶ右派を利用して天皇を倒そうとし、最後には自分がその地位につこうとしたのだ。
「僕は中国に生まれたら、皇帝になっていたと思うのだよ」
こうした彼の発言には、自らが皇帝、天皇になりたいという彼の本音がありありと現れる。

彼の若いころから主張する、革命により共和制となった日本、そこに名前こそ皇帝でなくても君臨するのは彼以外にないと確信していただろう。

戦前の日本は、ご存知のとおり天皇絶対の時代である。
学校をはじめいたるところに御真影は飾られ、民衆は万歳をさけぶ。軍の統帥権をはじめ、あらゆる最終決定権は天皇にあり、必ずしも機能はしなかったといっても、現在とは違い完全なる最高権力者とみなされていた。

そんな尊皇の道徳があたりまえであった時代に、彼ひとり自らがその立場にいれかわろうと考えていたのである。佐渡の酒屋のせがれにすぎぬ彼が。

これは驚くべきことである。社会主義者のように、天皇制を打倒することを考えたものはあっても、王朝の交代を考え、自らがなろうとした人物を中世以降の日本ではこの男以外を私はしらない。長い日本の歴史全体でみても、古代にわずかにいた程度であろう。

それほどの自我をもち、また当時支配的な道徳、逆らえば死すらありえる観念に対し、すこしもとらわれない男だったのだ。


彼が従ったのは、法律や道徳なんてちっぽけなものではない。
ニーチェのいうところの「権力への意思」のような、自己の内面からほとばしる高次元な欲求のみであったからだ。

そしてこれこそが英雄のただひとつの条件である。
英雄は道徳やら法律やらの、精神の外にある一切のものにとらわれない存在である。北一輝の当時にしてはあまりに不道徳かつ強大な自尊心は、私の考える英雄に近い。
そしてこうした人物こそが社会の進化をもたらし得る。彼は226で失敗したけれども、日本史に欠かせぬイベントを起こした事実に変わりはない。成功すれば日本の歴史は全く違ったものになったのである。

現代には殆ど存在しないこうした人物の存在、次回以降も他の英雄を紹介しつつ、その精神構造の醸成方法について考える。



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