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リョウコは私

私はリョウコから本当の私を見つけることを
教えてもらった
リョウコは私に
人生を張って
私という人の本質を教えてくれた
と今では思う

リョウコはリョウコであり
かけがえのない一つの存在だ
その命を私は母親というだけで
思うようにコントロールすることなどできないのだ

私はなぜかリョウコに対して
激しい怒りをいつも持っていた

そして
リョウコを愛してやれない自分を
酷く嫌っていた
リョウコに対していつもごめんねって言っていた
でも言った尻から
嫌っている自分がいた

この気持ちは自分では抑えることができなかった
勝手に湧いてくる感情だった

思い出すことがある
私が自分で自分をとことん嫌いになったこと

リョウコがまだ小さい時
車に乗って出かけていてリョウコがのって私は外だった
車のドアが閉まりそうになり
リョウコの手が挟まれそうになった瞬間だった
私は恐ろしくて自分の手をドアから引っ込めてしまった
リョウコの手が挟まれる事を防ぐよりも
私の手が挟まれることが恐ろしくて
手を引いてしまった

無事リョウコの手はドアに挟まることは無かった

しかし私の中ではその時の自分の行為が
とても卑怯で怖がりで意気地なしの母親の姿として
自分の中で大きな罪となった
そうだ私は
リョウコの前では罪人としている
様々な罪が私の中に課せられている
重罪人だ

そう、私はリョウコを通して
自分を重罪人として生きて生きたことが
わかった
日々は其の罪滅ぼしのようなものかもしれない

私の毎日が重く苦しい気がするのは
私が自分自身を重罪人として
また被害者として
生きて生きたからかもしれないと気が付いた

リョウコに対して許せなかったのは
リョウコが生き生きしていたからかもしれない
私も生き生きと行きたい
私もやりたいことやって
言いたいこと言いたい
自由が欲しい
そういう叫び声が
私の中から湧いてきていた
しかし同時に
お前はダメだ
出来の悪いお前は
周囲のために気を使って生きることが大事なんだ
気が利く女であれ
自分より周囲
自分より親
自分より他人
それが当たり前

ずっとそう言われてきたから
私は自分のために切ることはいけない事なんだって
「勝手にそう思ってきた」
私の中の裁判人がいつも私をみはっていた

そしてそうじゃない時の私を
私の中の裁判人が厳しくに罰していた
罰せられ続けたら
いつの間にか自分には価値がないという被害者意識が勝手に生まれ
私は被害者となった
なぜかというと
私は弱い、私は悪い、私は卑怯者だ
だからこうなっても仕方がない

そう思う方が罰せられるよりも楽だ
落ちてしまう方が楽だ

そんな深い所の私が
被害者として生きていた私が

リョウコというはつらつとした
エネルギーにあふれた
いつもキラキラした
存在が現れて
妬ましかったんだ

まだ小さいリョウコに対して
私は明らかに嫉妬心を抱いていたように思う

娘に対して妬ましいなんて
どういうこと?

リョウコのどこが嫌いなのか
苦しくていつも考えていた

ふてぶてしい態度
ありのままを恥ずかしげもなく表現するありさま
自分のづきな事しかしないし全く興味がない
とことん入り込んで自分の世界がある
あまり勉強に興味がない
途中でやめる

だから、私はあんたが嫌い
って思っていたんだけれど
一番は「私の言うことを聞かないから」
だった

何故私はリョウコを言うとおりにさえたい気持ちが強かったんだろう
私が嫌だと思っていたリョウコの欠点を
違う見方から見たら
面白いことが分かった

ふてぶてしい態度→あまり人に気を使わない
ありのままを恥ずかしげもなく表現するありさま→自分を表現して恥ずかしいことがない、自分を持っている
自分の好きな事しかしないし全く興味がない→周囲に気を使わないからいやだったが、いまではそれのどこが悪いって思える
とことん入り込んで自分の世界がある→集中力がある
あまり勉強に興味がない→嫌なことはできないという徹底したところがある
途中でやめる→興味がないと続かない、いやいや無理やり色んなことできない、嫌なことは体が拒否する、具合が悪くなる

なんと、リョウコの良い所は、私があこがれていた性質だった!
私がしたくてもできないことを
したくて仕方がなかった私の本質を
リョウコは表現してくれていた
リョウコは私の本当の私だった

ずっとずっと私を悩ませ苦しませてきた
この気持ちは
私自身に対する
私らしくありたいという
魂からの叫びにも等しい欲求

そしてそれができずにいた
それを抑え込んでいた私にとって
ありのまま生きるリョウコは憧れが転じて許せない対象となった

だって私はやりたくてもできなかったんだから

こういう気持ちをリョウコに向けたんだとわかった
しかし、それは本当の私を痛めつけていたことと
同じだったんだ

けっして私はリョウコを嫌いではなかった
それは私にとって幸せな発見だった
娘を嫌いではなかった

そして
私自身を嫌いではなかったこと
これに気が付けて
素直にうれしかった

私は私でありたい
という気持ちだけだった

その気持ちがすべてだった
そして
勝手に自分で自分を思い重罪人にしていた

重い鎖や牢屋のカギを誰かにあけてほしかった

誰か助けに来てほしかった
しかし
助けを求めたことは無かった
それは私に価値がないと思っていたから
私は助けられるに値しない重罪人だったから

しかし
私はわかった
重罪人にしたのも自分
牢屋に入ったのも自分
開けられないカギをかけたのも自分

自作自演の人生だった

全部自分で作ったマトリックスの中の人生だった

リョウコはそれを私に約20年間教えるために
生きてくれた
生まれてきてくれたと私は思う
わたしにとってのリョウコの役割は
そうだと感じる

これからはリョウコは自分の人生を生きることができる
すでにリョウコは自分の世界を生きている

そして私
私は自分で自分の罪をなしにするだけ
重罪人の罪を無罪放免にするだけ

そして全くわからない未知の広い世界に
いつでも飛べばいいって
わかった

自分で自分を傷つけること
これ以上
苦しいことは無い

そしてそれは
いますぐにでもやめられる
傷は癒えていく
それは自分に優しくすればよいだけだから
自分に対して
痛かったね
もうやめようね
つらかったね
もう大丈夫
って言ってあげればよいだけだから

リストカットしたリョウコに
よしよししたように

自分で自分を
よしよしすればよいだけだから

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