結生子
お母ちゃんがボケ始めた。ボケが始まったころから、施設に入れずに一緒に住むと決めていた。施設に入れたらもっとボケるからだ。でも、私はお母ちゃんが嫌いだった、いいや、大嫌いだった。でも面倒見ないといけないと思ってた。それは、お母ちゃんは私の分身だから。自分を切り離すことができない。自分と向き合うことだと知っていたから。大嫌いなお母ちゃんがボケた時から、私は大嫌いな私を取り戻す日々を過ごしだした。
アトピー専門鍼灸院でアトピー患者さんと向き合う中、人が治癒するとはどういうことなのだろう 老化しつつある身体が、治癒するとはどういうことだろう
典型的な昭和頑固おやじ。口が悪く、子供を子供と思わない毒舌。家に帰ったらいつも苦虫つぶしているし、温かい家庭・ほのぼのとした食卓なんて一回も経験したことなかった。そんな頑固おやじが、メンタルやられた。久々に会いに行ったら、小さくなって、別人みたいになってた。毒舌もない。苦虫もない。私はこんなお父ちゃんではなくてあんなに大嫌いだったのに・・・大嫌いの方がいいって思ってしまった。かわりゆくものは仕方がないけど、そんなわがままなおやじと私の話
私の中のもう一人の私である娘の「リョウコ」なぜか好きではなかったむすめのリョウコの経験した「精神分裂病」。それは私にとって懺悔であり癒しで。それは私が書かなければいけないものである。なぜかというとそれは私の手放しの奇跡でもあったからだ。執着をなくして手放すことをリョウコは私に気づかせてくれたから
その人は初産の子供さんを 出産1か月前に死産で自然分娩で出産しました 順調だと思っていた矢先のお腹の子供の 死 お母さんは見ない方がいいと ご主人だけ対面され 娘さんでした その後彼女は無事男の子を2人出産 そのうち子供さんは成長し 長男に彼女ができて 「今度連れて帰るからあってくれ」 ドキドキしながら待っていて その娘さんとあった瞬間 「あ、この子の事、大好き」って思った まるで 娘のような気持ちだと そうだ、娘が帰ってきてくれた って感じたそう そして、
私の中から 言葉が訴えてくる 静かに 強く何度も 伝えたい 伝えたい 伝えたい と 私が思い出すことを 気づくことを ずっと知らせてくれていた 私の中の宇宙の奥底から ずっとかすかに響いてきていたメッセージ 伝えたい あなたに会いたいって 私に会いたいって 言っていた その声を私は 聞いた 伝えたい あなたに会ったら それでもう 気づくだろう ずっと昔から ここにいた あなたに気づいてもらうために 私はメッセージを送っていたんだよ 時空を超えて あなたに会いた
私はリョウコから本当の私を見つけることを 教えてもらった リョウコは私に 人生を張って 私という人の本質を教えてくれた と今では思う リョウコはリョウコであり かけがえのない一つの存在だ その命を私は母親というだけで 思うようにコントロールすることなどできないのだ 私はなぜかリョウコに対して 激しい怒りをいつも持っていた そして リョウコを愛してやれない自分を 酷く嫌っていた リョウコに対していつもごめんねって言っていた でも言った尻から 嫌っている自分がいた この気
就職活動は想像以上に苦労した こんなに苦労するなら 今のバイトのままでもいいんじゃないか と思ったくらいだ しかし リョウコは今のバイトはもう嫌気がさしていたようだった なぜかというと 飲食あるあるで お客さんが横柄な態度で嫌だったようだ リョウコがちゃんと働きたい というのなら仕方がない あきらめずに就活し続けるしかない 先生の言っていた通り ストレスがかかると状態は悪くなる ストレスとはなれない就職活動に伴うもの 生き慣れない場所へ下調べしていく 普段慣れない服
薬の副作用ほどドクターの方針をあっさり変えるものはない 一生薬は変わらんと思っていたけれど 思わぬ副作用で あっさり薬が変わった 薬の量は同じくらいになっていたようだが 種類が変わるというのは ものすごく進歩だと感じた 種類を変えたらピタッと副作用は出なくなった これもある意味恐ろしいことだ リョウコに副作用が出ていなければ 表に出ない薬の害がリョウコの体に ダメージを与えていたのかもしれない そしてなんと しばらくしてから 主治医から 「そろそろ、近くのお医者さんに
意を決して書いたドクターへの手紙を 診察室の机でじっと読む主治医がいた なにもいわず 沈黙が流れていた 午前10時過ぎの明るい陽射しがはいる診察室は 清潔で静かで 待合で静かに物言わずに待つ 平坦なエネルギーの患者さんたちを より一層薄暗くさせる気がする 隣で静かに座るリョウコも 何も言わずに 空間の中にいた ほどなく読み終わった主治医は 「ふ~ん、えらいな~ 鍼灸で治すんだ わかりました でも、僕は薬は減らしません 減らすとしても半年~1年単位で 少しづつです」
リョウコはリストカットはしなくなったが 相変わらず 寝たら 「どんどん」と太ももや体をたたいていた 寝る前には 「入院しなければよかった」 とぐちぐちいう しかし私は それを淡々と見過ごしながら 過ごした ただ、リョウコを受け入れる リョウコがつらいことに思いを寄せる 様な毎日を送っていたような気がする 以前から気になっていたことがあった 「薬」だった 非常に重い薬をリョウコは飲んでいた 一番きついものを 最大限の量をのんでいた あんなに暴れていたし 独房に入れられ
リョウコは いつも大学に行くとき以外は 家と私の職場にいることになった 職場についたら べっどがあって そこですぐに横になっていた つねに、倦怠感があったようだった そしてときどき 「どん、どん」という鈍い 何かに 打ち付けるような音が聞こえてくる 何度も何度もそれは続く リョウコが自分の太ももを 自分のこぶしでたたいている音だった リョウコの白い太ももには 薄青いあざがいくつもできている いたいから、やめようね というと しばらくすると今度は また違う音が同じよ
夕暮れ時の薄暗い和室で 聞きなれたドクターの声が 受話器の向こうから聞こえてきた 「お母さん、どうしました?」 「先生、リョウコが手首を切ったんです 私、怖くて 再入院した方がいいんじゃないですか?」 「・・・おかあさん、自分で、ほら、って、手首をみせてきたんでしょ? 自殺する子は、そんなことしないでさっさとほんまに 死にますよ 見せてくるってことは お母さん、ほら、ほら、私、こんな怖いことしたよ みてみて! って小さい子が、 「お母さん,みてみて!」って言っているのと
恐れていた日が 来た リョウコが私に手首を見せてきたんだ 「ほら、切った」 私はいままで感じたことのない 現実的な 恐怖の谷に突き落とされた 手首には数か所の切り傷があった 薄く赤くなった傷 私の娘がリストカットした そして「なんでこんなことしたん?」 と聞くと 「なんとなく」 そういえばリョウコは 良く自分の身体をこぶしでたたいている 太ももを良くたたいている 時にはベッドの柵を強くたたいている 病院にいたときも自分で自分の身体を傷つけていた 「怒りを身体にぶ
そうだ、リョウコが病気を発症したのは 私には明らかなる前兆があった リョウコの小さな時からの 本当に小さな時からの たとえようもない いら立ちや 憎しみのようなもの 私の言うことを聞かないということと 言っていても全く伝わらないイライラ それを差し引いても 何故かわからない 激しい怒りに似たものが リョウコに対して沸いてくる その鋭いナイフのような気持でずっとリョウコに接していた私は いつかリョウコが 私に歯向かってくる 途方もなく 大きな大きな 災難、がやってくるとい
キャンプに行く前日 リョウコは泣いていた 「行きたくない」 「しんどい」 「何もできない」 そんなリョウコに私は 「今頃何言ってるん あんたはリーダーやねんから 今頃になって いい加減なことばっかいってるんじゃない さっさと準備しーや」 と突き放した 鬼の様に 突き放した 私の中に リョウコの悪い所を どうしても どうしても許せない 何か湧いてくる 憎しみのような ものがあったんだ なんでできない やるといったことをなぜできない すぐになんであきらめる そんなんだから
りょうこは 退院した翌日から大学に復帰した よっぽどうれしかったんだろう 自転車に乗り 以前と同じように大学に行った でも、帰ってく来たら 顔色が悪いし、疲れ切っている まだまだ最大量の薬を飲んでいたから 身体は相当重たかったと思う 歩き方も重たそうで 決して走ることはなかった ものすごく重い体を 引きずるように 毎日必ず大学に行った しかし そのうち あまり楽しくないような 様子を示しだした 聞いてみると 「友達があまり話してくれない」 以前のリョウコとは
自由奔放でわがままな まだまだ小さいリョウコを 母として どうしてもうまく扱うことができずに ずっとイライラしていた 相手するのが嫌だったから 家に置いときたくなかった 外に出ていてほしかった リョウコは いつもどっかつれていって 連れて行って ってずっと言ってた お家でじっとしていられなかった そんなに連れて行けるわけないやん 忙しいんやからっていつも 愚痴っぽく言っていた そんな時、ボーイスカウトに入団しないかと誘いがあった ボーイスカウトと言えば キャンプファ
リョウコは そのうちなぜこんなにうまくいかないんだろう って思うようになっていった そして それは入院したからだって 言いだした リョウコにとってそれ以前の状態は とてもよかった ってことになっていた 入院がきっかけで こんなことになった 大好きな嵐のコンサートにも行けなくなった チケットも売ってしまった 良い席だったのに 大好きなアーティストのコンサートに奇跡的に当選していたけれど ドクターストップがかかったのだった 退院してすぐにそんなにテンションが上がることはし
大学には行くけれど 必ずお迎えがいるようになった しんどくて帰れない そのうち 大学から電話がかかってくるようにもなってきた 保健室で休んでいるという 「お母さん、お迎えに来てあげてください とてもしんどいって言っておられます」 「お母さん、今日もやすんでおられます こんなにしんどいようでしたら、お休みされる方がいいんじゃないでしょうか」 まるでこちらを責めているような口調だ カチンとくるということは 私の中にある何かしらの罪悪感をつついているからなんだろう 毎日のよ