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月並みな感性を持つ自分が、それでも空想に逃げ続けている|プチエッセイ

 世の中には星の数ほどの作品があります。星の数という表現にふさわしく、それぞれの輝きを持っていますね。しかし、どうしてもその輝きは比べられます。一等星だと定義されて、人々の目がもっと留まるのです。

 残念ながら、ワタシが書くものは一等星であるとは言えないでしょう。それでもいいのです。ワタシは、幾千もの星に紛れて、逃げ込むように空想の世界に入り浸ります。月並みな感性が生み出す空想でも、そこにはいつでも己を揺さぶる何かが現れるからです。他の作品と被るものがあるのは仕方のないこと。それでも、自分だけの特別な世界であることに変わりはないですから。

 始まりは中学生になったばかりの頃。厨二病という言葉が生まれただけのことはあって、あの頃は貪るように夢を脳内で描いたり、架空の出来事や人物に思いを馳せたものです。

 一番のきっかけとなった作品が米澤穂信先生の「氷菓」。夏休み前だったかな、配られたんですよ。中学生におすすめの本、というような旨の冊子が。そこに載っていて、一番最初に目に留まったんです。日常からあまり離れていない設定の中で広がる、ささやかながらも刺激ある出来事と人の心情。

 人生において高望みをしないことにしていた私の、灰色人生に色が差しました。

 それからずっと、「物語」というものが大好きだということを自覚できました。思い返せば、幼少期に覚えているお話も多くて。ちゃんと好きだったんだな、と改めて認識したりもしました。

 世界があって、人がいて。感情や出来事が繋がっていて。その繋がりの美しさや醜さ、強さに儚さが、たまらなく不思議で。謎解きのように読み解いたり組み上げたりするのが、大変だけど、楽しかったのです。

 だけど、月並みであることを早く、自ら頭に刻み込んでしまっていたので。これで食っていこう、だなんて大それた考えには至らず。本当にただ楽しむことを目的にして、人生の長い趣味にしようと思いました。

 あれからかなりの年月が経ちました。小さな空想を言語化する日々がダラダラと続き。商業化を目指すほどの自信や技術を身につけるわけでもなく。大衆的に人気の出るものを追うわけでもなく。もっと幼い頃に憧れた、空想の力と刺激的な命の燃やし方を取り入れることもほとんどやめてしまったけれど。

 文字を通して刻まれる、実在はしないけど確かに在る小さな世界が。私の一つの拠り所であり。誰からも邪魔されることのない安らぎを与えてくれる。

 煮詰まった「自分の好きな物語」の書き方が。いつだって空想へと逃げ込む鍵として居てくれる。

 月並みな感性を持つ私に、平等に与えられた空想への鍵。
 責められることなく、好みを追求することが許されること。

 ダラダラと小さな空想を続けているように、内容もダラダラしてしまいましたが。とにかく。どんなに側から見てつまらなくとも、私は空想を諦めはしないとだけ、高らかに宣言したいものです。


 追伸。

 マイナーだから、変わり種に目を向けてくださる寛大な方々とも、少し縁があったり。意外な方向からお褒めの言葉をいただいてしまったりと。そんなちょっとしたボーナスもあったりするので、これがまたやめられない理由だったりもする。

 不毛でしょうか。でも力になるのも本当です。