見出し画像

【ふせん】「自分の意見」ってどうつくるの?_#024

概要

書評というほど本全体に対する批評は薄く、
読書感想文というほど総合的な感想ではない。
気になった言葉に対して感じたことを「ふせん」として書き記すシリーズ。

「自分の意見」ってどうつくるの?


気になった言葉たちと感想など

バカロレア哲学試験の問いには、「私」という主語は一切出てきません。その代わり、人間一般を指す「私たち」が使われます。広い視野を持ち、物事を外から分析できるような問いをつくることをお勧めします。

「自分の意見」ってどうつくるの?

「私」という言葉と「私たち」という言葉ではまさに視点の高さが明確に違ってくる。
個人としての主観というのももちろん大事ではあるが、主語を少し変えるだけで視点が大きく変わるということは覚えておいて損はないだろう。


フランスでは「定義づけをするときには語源まで立ち返りなさい」とよく言われました。

「自分の意見」ってどうつくるの?

言葉とは本当によく考えられていて、語源をたどるとさまざまな発見が得られる。
たとえば「稲妻」という単語の語源に「稲」と「雷」の関係性があったり、英単語なんかも分解して考えるといくつかの言葉が組み合わさったものだったりもする。
普段から使う言葉ひとつにしても、自身の主張の形成や円滑なコミュニケーションには絶対的に必要な要素なので、丁寧で正しい言葉を使うことを心掛けたい。


「疑う」とは、あることを「正しくない」「信用できない」と決めつけることではありません。哲学の世界において「疑う」とは ”一時停止” の状態を意味します。

「自分の意見」ってどうつくるの?

何事にも疑ってかかるとなるとさすがに慎重になりすぎて身動きが取れなくなりそうだが、場面を見極めて適度に「疑う」というプロセスは重要に思う。「疑う」とはいわゆる問いを立てる行為で、「本当にそうなのか?」「ほかに方法はないのか?」といった問いを深掘りしていくことで自分の意見や新たな視点を見出す第一歩となる。
自身が何か疑いを向けられた時、場合によってはきつい言葉を受ける可能性もあるが、自分にない意見(フィードバック)を受けられる機会だと考え、表面的な言葉に気持ちを振り回されないように構えていたい。


日本人は会話の中で何より「共感」を重視します。共感によって関係を深め、同意によって会話が進んでいく傾向があります。

「自分の意見」ってどうつくるの?

「共感」を重視する日本式のコミュニケーションは日本人としての美徳の一つでもあると思うし、きめ細やかなサービスやおもてなしの精神はこういった背景から生まれているものであるのも確かだろう。
ただ、前出の「疑い」を持つことで自分の意見を探す手法と「共感」重視のコミュニケーションは相反する部分があり、日本人がなかなか人にはっきりと物言いができないという傾向と合致してくるように感じる。
単純な良し悪しの話ではなく、国民性としてこういった傾向を持っていることを念頭に置いて、適度に「共感」文化と距離を取ることを考えるのも大事だろう。


「ノー」は、思考を動かすためのモーターなのです。

「自分の意見」ってどうつくるの?

「ノー」と相手にはっきり言う行為も日本人が苦手とするコミュニケーションの一つではないだろうか。
しかしこの「ノー」という言葉も自分の意見を考えるためのキーワードとして考えると、「苦手だから」という理由だけで避けていてはもったいない言葉とも思える。
(この note しかり)最近はSNSがとても発達していて、だれもが自分の意見を発信することが文化として強くなってきており、これも既存の価値観に対する「ノー」を示した結果とみることもできそう。それによって多様な価値観(多様性)の顕在化にもつながっているとも思うので、適切な場面で「ノー」を発することは重要となるだろう。


日本で一問一答形式の問題が好まれるのは、採点が効率的だからかもしれません。

「自分の意見」ってどうつくるの?

中学高校のころのテストも「採点に時間がかかるものから実施する」と言われた記憶がある。
一問一答形式だとあらかじめ「解答」が用意されており、考えるというプロセスが評価対象となりにくい。そうなると結局テストは瞬間的な暗記に頼るという流れも誘発し、考える力をつけにくくなりそう。
全面的に日本のこの傾向を否定するつもりはないが、考える力をつけにくい仕組みになっているということは覚えておきたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?