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パートナーからの搾取に悩む人へ。あなたがこれを日常的に言っていたらアウト


パートナーとの関係についての相談を受けた時に
このワードを言っていたら
「ああ、完全にパートナーに搾取されているな」
と思うワードがあります。

それは

「今は酷いけど、私といれば、相手は変わってくれる」

です。

健全なメンタルの方にはピンと来ないと思いますが、

ヤバいパートナーに捕まっている人は、
びっくりする程の割合でこれをいいます。

そしてこの考えは多くの場合、不幸に繋がります。

・残酷な事実、他人を外部から変えるのは難しい

僕は10年ほど、メンタルケアやコーチングなどをやっています。
(コーチングとは心理療法の技術を使って他人をサポートする技術です)

だからこそ外部からの働きによって人を変える難しさを知っています。

そもそもパートナーから物質的、精神的に関わらず、
疲弊させたり搾取する人は、認知がかなり歪んでいます。

簡単に言えばコミュニケーションや行動が極端な場合が多いんです。

具体的にどう極端なのか??

恋愛で言えば

・ちょっとした事で浮気をしているに違いない、裏切るに違いないと決めつけ束縛する
・お前は役立たずだ、別れられるはずがない。と脅しで相手を従わせようとする
・わざと相手に恥をかかせるような言動をする
・自分のコンプレックスをぶつけて家族に暴言や暴力を奮う
・相手から時間的、精神的な労力を奪う事に鈍感で抵抗がない

例を挙げればキリがありませんが、
言動が極端で、決めつけが激しい。
さらに不安や裏切りなどに常に怯え攻撃的になっていたりしています。

でも、そういう人も歳をとれば丸くなるものでしょ??

と思うかもしれません。
ではなぜこれが変えづらいのか?
の理由を言います。

・直面化が出来ない

直面化とは…
心理的に直面するのを避けていたテーマや自分の考えに気づき、向き合うことです

これがほんっっとうに出来ない。

なぜか?
それは認知の歪みが激しい人は
現実を見ることは、
自分のメンタルが崩壊する危機である。
と思っているからです。

これは当事者と対話していて気付いたのですが、

自分の間違いを認める
=他人に謝る

をすると本当にメンタルが崩壊する
と、冗談抜きで、マジで思っているんですよね。

考えてみて欲しいのですが、
人は誰でも、たまにはミスや間違いを犯しちゃう生き物です。

余程の失敗じゃない限り

失敗しちゃった…
ごめんね。
次は失敗しないように自分も気を付けるよ!

で済む話なんですよ。

まともなメンタルを持っている方からすれば信じがたいでしょうが、

他人を搾取するような歪んだ認知を持っている人からすれば
間違いを認める=自分が崩壊する脅威
として捉えているので、
本気で恐怖し、恐れているのです。


なので彼らは全力で直面化を回避します。

・嘘や開き直りで誤魔化したり
・怒りを見せて脅してみたり

思いつく限り、あらゆる言い訳と手段を使って全力で回避します。

それはちょっとやり過ぎだよ
という他人に迷惑をかけているという指摘や、

それはちょっと辛いからこうして欲しい
などの要望も、

彼らからすれば
「コイツ、俺に向かって攻撃をしてきている」
自分のメンタルへの直接的な攻撃として写っているんです。

特に直面化を促す相手や、それを彷彿とさせコンプレックスを与えて来る者は、
すべて敵なので攻撃的になりやすいです。


一度冷静になって考えてみて欲しいのですが

問題を受け入れるという行為はそんなに難易度が高いのか?

例えば
・自分の言動は少なからず人を傷つけていた
・不安や被害者意識が強い傾向がある
・傲慢でプライドが高いと疎まれる行為ばかりしていた

このような部分を
一部でも認めて、行動やコミュニケーションを
ほんの1割や2割でも改善したとします。

・相手の意見を頭から否定しない。
・相手の意見を聞いて、自分の立場や意見を述べる。
・自分と相手の意見をすり合わせる。
 

など、ごくごく簡単なコミュニケーション技術です。

これを気を付けるだけで、
大抵の場合、1割以上は改善になります。

たったこれだけで想像以上に
人間関係も改善するでしょうし、
想像するだけでコミュニケーションも円滑になるのです。

つまり
客観的に見れば
家族も職場も友人関係も、
そして本人自身もみんなも得をしているんですよ。


しかし他人から搾取をするような人間からすれば感情的には、
これを受け入れるのはメンタル崩壊の危機です。

だから開き直る。否認する。攻撃する。
たった1割の行動で大きな改善が見込めるのにも関わらず…

こうなると精神的な成長は難しくなってしまいます。
成長(変化)のサイクルが回っていない。

つまり直面化なしだと
ミスをミスだと感じ、学ぶ事がないので、
年齢だけ重ねても、精神的な成長はしないのです。

みなさんの周りにも、
なぜか異様に精神年齢が低い人間を見たことがあると思いますが
単純に成長のサイクル(ミスから学んで成長に繋げる)
が出来ていない場合が多いです。

また、
日常的に問題行動をしてしまうレベルの状態、
いわゆるパーソナリティー障害と診断されるレベルは、

どんなに治療が上手くいっても数か月、
しっかりと取り組んで数年で改善が見込めると言われています。

逆に言ってしまえば数か月から数年、
プロレベルの粘り強いケアが必要なのです。

どうでしょう?

あなたは
「俺は絶対に悪くない」
「お前が悪いからこうなったんだ」

と意地を張る人間に
プロレベルの粘り強さを維持するのは可能でしょうか?

この前提の難易度を知らない、
知識もノウハウもない、

たまたまDVの傾向があるパートナーに捕まっただけの人が、
こなすことが出来るでしょうか?

しかも実際には相手が直面化を受け取るかは、
結局は相手しだいなのでコントロールは出来ません。

ケアしても本当に軟化するかは本人次第で100%良くなるとは限らないのが現実です。

客観的に初心者にはかなり難易度が高いと思います。

・相手に「最後のチャンス」を与えられるか?


しかし
「今は酷いけど私といればいつか相手は変わってくれる」
という人が後を絶ちません。

なぜでしょうか?

直面化には
「相手を見捨てる覚悟」
がいる事を知らないからです。


・モラハラが改善した一つの例

ある本のモラハラ改善の事例を紹介します。

・彼は医者をしていてプライドが高く、モラハラ、パワハラ当たり前。
それは徐々に激しくなっていきました。

そして行動はとうとう奥さんに手を上げるまでになりました。

そうなって、ようやく周りから
「彼はこのままではまずい」
と、強制される形で
認知行動療法やカウンセリングを受け始めたと言います。

しかし、途中で
「俺に問題なんかない!!」
と突然カウンセラーに激昂し、
治療に来なくなってしまいました。

半年後、再びカウンセリングにやってきた彼が言った言葉は
「妻に離婚すると言われ別居された。俺はどうすればいいのか?」
だったそうです。

こうして彼はもう一度治療に取り組むようになりました。

つまり、このお医者さんは最後のチャンスを与えられたところで
自分の性格と言動には問題がある。
この問題からもう逃げられない。
ここで変わらなければ、すべてを失う。

という直面化がやっと出来たのです。

彼も取り組んでいる間は、辛い場面もあったことでしょう。

しかし、それでも粘り強く治療を続け、
同僚から
「まるで憑き物が落ちたようだ」
と言われるほど、対話が出来るお医者さんになりました。

奥さんも彼の努力を認めて、
これまでを水に流し、
離婚の危機は去りました。

そしてこれは幸運な例です。

「私がしっかりしていれば相手は変わるはず」
実はこれは僕の母がよく言っていた言葉でもあります。

モラハラやDVを行うような認知の人は、
大抵この最後チャンスを甘く見ています。

どうせ、お前には何もできるハズはない。
出ていけるなら出ていけ。
誰のおかげでメシを食えていると思っているんだ。

これはよく父が母に向かっていった言葉です。

要するにリスクが無い。と相手を舐めているのです。
チャンスは無限だと思っているからモラハラ、パワハラが出来るのです。

そして僕の父は、このチャンスを逃し続けました。

父のモラハラが原因で母がうつ病になった時、
母が限界になり、包丁で父を刺そうとした時、
家族全員と別居した時、
離婚した時、
姉に絶縁されて結婚式にすら呼ばれなかった時、

父は自分の性格や言動に問題があるから周りから人が離れていく。
という直面化のチャンスを逃し続けました。

結果、ほとんどの親族から絶縁状態、
病気の時にはヤクザの友達が弱みに漬け込んで借金の話を持ち掛けてくる。

父の家のインターホンを鳴らすのは、ヤクザの友達か郵便局員くらいです。

そして父は未だにこんなことを言います。
「いつかまたみんな俺を認めて、家族が戻ってきてくれるかもしれない」

ハッキリ言います。
そんなわけないでしょう。

父は失った物の価値すら認識できていません。

なぜならそれを知ってしまうと
自分は取り返しのつかないことをしてきたのだ。
自分と向き合わなければならないから。

父はまだ家庭修復のチャンスがある。
と本気で思っています。

そんなものは彼の残り少ない寿命ではもうないのです。
なぜか?
もう家庭は完全に破壊されてしまったから。

これが末路です。

全く変わらない父を見て、母は
「あの変わってくれると期待した十数年の結婚生活は無駄だった」
と言います。

ここで言いたいのは
パートナーに期待を持つな。とか
相手を信頼するな。ではありません。

「私といればいつか変わってくれる」

という言葉には
それ相応の

粘り強く対面する覚悟と、
辛い現実を直面化させられる行動と、

なにより人生を無駄にされたとしても、
付き合ってあげる愛情が必要。

という事です。

これを見て
「それでも私は」
と言えるならば、それは素晴らしい事です。

そこまで思えるのならば、
そのパートナーにはきっと素晴らしい魅力があるのでしょう。
ぜひ粘り強く支えてあげてください。

しかし、
「割に合わない」
「直面化させる勇気がない」
「最後のチャンスを与える覚悟がない」

と思ってしまうのであれば、

人生の後悔となってしまうリスクがあります。

支えてあげたい、変わらせてあげたい。
これ自体は素晴らしいことです。

しかし人生が有限である以上、
果たしてそれがあなたの人生に見合うのか?
相手に変わる気があるのか?
少し厳しいですが、後悔を避けるために心に留めて欲しいです。

母が言った
「あの時間は無駄だった」
がとても残っています。

最後に、
今回は少し厳しめな内容になってしまった事を謝ります。
巻き込んだ側も巻き込まれた側も幸せになっていない状態が
少しでも無くなればと思います。


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