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サポーターとは「無条件の信頼」である

先日のサッカーW杯予選 対オーストラリア。
なかなか勝てないことに対し、なんの責任もない我々日本国民がザワついていた。そんな試合で待望の勝利を奪い取ったのは浅野拓磨が押し込んだシュートだった。


わたしが高校サッカーをさらに好きになったのは、浅野が高校2年生の頃。四日市中央高等学校で無双していたのが彼だった。

その後加入したのは現日本代表監督・森保さんが擁するサンフレッチェ広島。
メディアでは浅野は森保さんの「愛弟子」なんて言われたりしている。


Jリーグでのプロ初ゴールでは涙が出たし、代表戦のここぞというところで決めてくる流石の心臓には幾度となく感激したものだ。
W杯前回大会のロシア大会では予選で大いに活躍したものの、本戦では代表に選出されなかった。



彼(とサポーターである私w)にとって、今回のW杯はリベンジでもあるのだ。

海外クラブで経験を積み一回りも二回りも大きくなった浅野だったが、予選の代表メンバー選出前はなかなか結果を出せず歯痒い思いだった。
プロスポーツ選手は日々微妙なコンディション調整を緻密に行なっていると思うと、まあ骨が折れる作業だなと思う。


また、いくら良いプレーをしていても、特にフォワードの場合は定量的に点を決めることが求められる。(本当はもっとやれるんだよ!!と叫びたかった、、)
やっと、やっっと点を決めた時の浅野の喜びと、森保さんの安堵のような表情は忘れられない。



Twitter上の一部の声を「世論」とし、監督にも選手たちにも余計なプレッシャーがかかっていただろうオーストラリア戦。


先制していたものの同点に追いつかれ、このまま引き分けで終わるわけにいかない絶体絶命のタイミングで投入されたのが浅野だった。

彼のタオルマフラーを握りしめて、比喩表現ではなく本当に祈っていた後半41分。
ロングパスから抜け出して放ったシュートは、相手のDFに当たりつつなんとかゴール!気持ちで押し込んだゴールだと思った。

そしてわたしは一人で飛び上がり叫んで床に突っ伏して号泣した。笑



自分でnoteに書いた「プレーと感情を切り分ける」話と一見矛盾するように感じるが、スポーツも人と人であることは間違いない。

あそこで森保さんが浅野を出したのは、紛れもなく彼への「信頼」なのだ。
プロたちは、わたしなんかが想像する以上に責任と自己鍛錬のもとプレッシャーと向き合っているはず。それを考えてもなお、森保さんの勇気ある采配を決めたのは信頼という、気持ちの部分だったのではないか。


そして、スポーツをろくにやってこなかったわたしには説明がつかないけれど、それに応えた浅野を突き動かしたのもまた気持ちの部分が大きかったのだと思う。



これは我々サポーターも同じことが言える。わたしは、サポーターとは「無条件の信頼」だと思っている。
我が浦和レッズの、ゴール裏で起立して応援する人たちの姿はまさに「サポーター」を感じる。

また、サポーターとファンの違いは(なんとまあこちらのエゴだけれど)「一緒に戦うかどうか」かな、とも思う。
ファンは見せてもらう、サポーターは共に戦う、という意識の違いだ。負けたら悔しいし、よし次は勝とう!って言えるのがサポーターだと思っている。


#森保解任 がTwitterでトレンド入りしていたことについて(監督の戦略と協会への批判が主だった)
一部は論理としてわかるけれど、
わたしはサポーターとして無条件に信頼し、W杯出場に向け応援したいし、共に戦いたい。



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