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「伝えること」と「理解させること」

わたしは学生時代、頭ごなしに強制されることが大嫌いだった。それには大概根拠がないからだ。

なぜスカートを短くしてはいけないのか、なぜ膝上10センチなのか?その規定サイズを守るのと超えてしまうのとで何が違うのか?

本気で疑問に思い考えていたわたしは面倒な高校生だった。
今思うと学生時代のルール自体に大きな意味はなく、「ルールを守る」ということが大事だったのだろう。


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先日、高校サッカー選手権の開会式にて青森山田高校のすばらしい行進に感動した。
そして、思慮が浅すぎた当時の自分と重ねては恥じていた。



前回王者である青森山田高校は、先日の準々決勝で残念ながら敗退。
28年間監督を務めた黒田監督は高校サッカーを去ることとなる。できれば決勝で見納めたかったが、この日会場にいられたことを誇りに思っている。

黒田監督への感謝の横断幕はキャプテン多久島くんのお父様がサプライズで作ったそう



そんな黒田監督は著書でこう語る。

我々はいつも根拠を持ってトレーニングし、それがどんな時でも論理的に解説されなければならない
常勝チームを作った 最強のリーダー学 


部活動でよくイメージするのは、何の役に立つのかわからない厳しい練習だ。
もちろん理不尽な経験というのも必要だけれど、組織が強くなるために「根拠のある練習」というものは大切なのだ。

そして、リーダーたるものそれらを論理的に解説できなければならないという。



うまく言えないが、青森山田高校のすばらしい行進や振る舞いには、自信や信念みたいなものを感じた。
簡単に言うと、やらされている感がなかった。

彼らは高校に訪れる来客や見知らぬ人たちに、小走りで歩み寄り挨拶をするそうだ。何かの映像で松木くんが挨拶している姿を見た記憶がある。かっこよかった。

物事を「ご縁」と捉え、感謝として考えることができれば、本校を訪ねてくる人たちは、生徒にとっても決して「まったく縁がない」ということではないはずだ
 (中略)
挨拶は強制的にするものではなく、相手への「敬意」と「感謝」という関係性を理解していれば、自然にできてしまう。
 (中略)
指導者として、ただ「挨拶は大事だから、しっかりやるように!」というのではなく、論理的になぜ挨拶が必要なのか、その目的や考え方のプロセスが理解できれば、子供たちの挨拶意識も高まるはずだ。
常勝チームを作った 最強のリーダー学 


挨拶などの礼儀というものは、頭ごなしに言われで実践するのではなく、納得感を持って行わなければ意味がない。小手先だけの中身が伴わない行動は礼儀とは言えないと思っている。

そしてそれを指示するリーダーに着目すると、中身が伴っていないということは本来の意味では「伝わっていない」ことになると思うのだ。



高校サッカーの監督として、そして教員としての黒田監督はもう見ることはできないが
その論理的な指導法がJリーグでどのように発揮されるのか、今から楽しみだ。

黒田監督、28年間お疲れさまでした。
そして高校サッカーをありがとうございました。


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