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『源氏将軍断絶』/坂井孝一 #読書 #感想文

なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか

源頼朝が将軍に就任し三十年ほどで断絶した源氏将軍家についての歴史本。源氏将軍の誕生から継承・断絶までを吾妻鏡と当時の公卿達の日記をベースに紐解いていく。

頼朝死後の家督継承により頼家は二代目の鎌倉殿となる。(将軍就任は後)従来宿老十三人の合議制が敷かれたことにより頼家は政治的権能を制限されていたとみなされていたが(吾妻鏡による恣意的な頼家サゲ記事のせいもある)より円滑に政務を行う為に行われた組織拡充であった。

派閥の論理により宿老十三人のなかで孤立した梶原景時が最初に脱落して滅亡し、その後武蔵勢力の比企氏と伊豆勢力の北条氏がしのぎを削る事になる。両者はそれぞれ比企氏が頼家の乳母夫として、北条氏が実朝の乳母夫として対立する関係となっていた。当然そうなること見越して頼朝は生前から両者の融和策をとっていた。その一つが北条義時と比企一族の姫の前との婚姻である。しかしながら両者は頼朝の死後その思惑から意図的に外れて行くことで対立を深めていくことになる。無論後継者である頼家自身も積極的に頼朝の思惑から外れ様としていた。

彼は源氏一族の加茂重長の娘を正室としており、頼朝は重長娘所生の公暁を頼家の後継者に、と構想していた。だが当の頼家自身は側室である比企能員の娘・若狭局所生の子供、一幡を自身の後継者にと考えていた。ここに幕府内で権力の伸長を測る頼家と比企氏が結びついた事により北条氏排斥の動きが活発化していく。

手始めに血祭りに挙げられたのが頼朝異母弟で時政娘、阿波局の夫となっていた阿野全成である。彼は頼家の弟・千幡(後の実朝)の乳母夫として後見にあたっており、頼家・比企能員サイドからすれば脅威であった。その為、謀反の疑いがありとして拘束後間もなく処刑されてしまっている。著者はこの時の北条氏は阿波局を守り切る事が精一杯であったと推測している。この時の北条氏に将軍・頼家と比企氏に正面から全面抗争する実力はなかったのである。自らの脅威を排除し政敵の弱体化を図る、若き将軍の思惑通りに事は運んだ。だが歴史は思わぬ方向に舵を切る、この事件から僅か一ヶ月後、頼家は危篤状態になるのである。

頼家が危篤状態になった事を知った北条時政の行動は早かった。彼は幕府運営会議の名目で比企能員を誘き出し暗殺、返す刀で比企氏に謀反の疑いありと称して攻め滅ぼしてしまった。この戦いの際に頼家の愛妾若狭局と一幡も死亡している。また時政は頼家危篤時に朝廷に対して頼家死亡の旨と千幡・公暁への荘園相続を報告していた。既に時政にとって頼家の死亡は確定事項であった。しかし幸か不幸か頼家は危篤から蘇生してしまう。母政子の嘆願もありその場で時政に殺される様な事は無かったものの世間的には死んでいる頼家は伊豆の修善寺に幽閉されるも長く生きることは出来なかった。幽閉から一年後、反北条勢力に担がれる事を恐れた時政により暗殺されてしまう。

この後兄の後を次三代将軍となる実朝の治世と彼の後継者構想、著者の言うところの真の意味での「源氏将軍断絶」があるがそれは本編是非読んで確かめていただきたい。今回は頼家の治世と比企・北条氏の派閥争いが特に印象的だったでのそれをメインに読書感想文を書いてみた。二〇二二年から始まる大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を前に読んでみるのもオススメだ。

それではよい読書生活を。

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