ほしいものがないところ、へ向かう旅。【中庸一周】
ふとした瞬間に、
「毎日しあわせだな〜」と
日常に惚れ惚れすることがある。
前回のnoteで、わたしの使命やビジョンについて荒くも語ったけれど、実際のところ、それが叶っても叶わなくても、究極「どっちでもいい」と思っているくらいには、毎日の「ベース」が満たされている。
学びたいことが学べて、
やりたい活動ができて、
ランチで夢を語り合って、
好きなウェアを買って、
もう無理というくらい一日を生きて、
夜は好きな人と電話して、
「これ以上のしあわせってあるかな?」
と、いちにちの終わり、お風呂に入っている時のような、ほんとうにふとした瞬間に感じる。
わたしのすきな考え方に、
「ほんとうの成功は中庸を生きること」
というものがある。
資本主義的に、この社会ではお金持ちになったら成功という考え方があるけれど、この世界の陰陽の等価交換という絶対的な法則をみた時に、大きくアップしてしまえば、必ず大きくダウンすることが起こるということ。(たとえそれが目に見える変化じゃなかったとしても、自分に起こる現象ではなかったとしても、もっと広範囲の概念として)
だからそうではなく、どんな時も、アップダウンすることなく、そのどちらでもない中庸が続く状態、が、真の幸せという考え方。
そしてそのことに気づいた時、大抵の人は、「じゃあ今がしあわせだからこのままがいちばんだ」ということを知り、その状態をできる限りキープするために、余計な犠牲や代償を払うことはなくなるのだと思う。
わたしもそんな思考回路で現状維持に努めたいと思うことはもちろんあるのだけど、わたしの魂は絶対にそれをさせてくれない。笑
たとえ資本主義的に、一生困らない分の資産を手にしたとして、
その先にほしいものは?
みたい景色は?
得たい感情は?
一緒にいたい人は?
などといった質問と真剣に向き合った時、そこには必ずしもほんとうの豊かさがイコール関係として存在しないということを、知りながらも、それなのに、わたしは「ほんとうにほんとうに、そうなのか」という実験をしたくて、自分の仮説を自分で検証したくて、体感したくて、ただ知りたくて、チャレンジする道を選んだ。
これはほんとうに矛盾的なことで、これから行くところで本質的な豊かさは得れないことを知りながら、そこに突っ込んでいくということ。笑
そして「ああやっぱりなかった」と実験が済んだあとは、きっとまた中庸に戻っていく。そしてそれは、きっと今わたしが生きている領域そのものだと思うから、一周まわる旅のようなもの。
ほんとうに贅沢な遊び方だと思いながら、今日も「ほしいものがないところ」へ向かっているのは、ただ、自由気ままな冒険を楽しんでいるだけだということを、自分がいちばんよく知っている。
その旅路で、「色んな景色をみたい」ただそれだけのために、今日も明日も、明後日も。
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