クソワロタ
どうも、ふじくんです
最近挨拶するかしないか迷ってる
今回はしてみた
僕は今課題が山積みなのである
非常に面倒
ひじょおおおおおおおおおおおおおに面倒
実に面倒
面倒面倒面倒面倒面倒面倒面倒面倒面倒面倒面倒
なんで僕ら高校生は課題をやるのだろうか
ふと考えてみた
そしたら簡単にひねくれた答えが出てしまった
頑張ることが素晴らしいと勘違いさせる
これが課題をやらせる目的だと斜に構えた僕は思ってしまった訳だ
もちろん頑張ることが素晴らしくないと言いたい訳じゃない
頑張りさえすれば全て良い
間違ったこの考え方を刷り込ませるために課題を与えるのだ
何かを頑張った
それは確かに素晴らしい
ただ同じ課題を目の前にした時
手を抜いて80%の力でやった課題でも提出さえすれば、差し支え問題はないのだ
100%の力でやった課題は80%のものより良い評価をされるだろう
でも課題を出せたという事実に変わりはない
仕事と課題は似て非なる物だ
課題は頑張ることが目的になっている
デスクワークであれば提出さえすればOK
この差はとても重要だ
大きな歪みを起こしているのはこの差である
頑張ることが素晴らしいのは間違いではない
ただ勘違いすると「私はここまで頑張りました!褒めてください!認めてください!」となってしまう
頑張ることで突き詰めた完成品を提出しようとする意欲だけはあるが、完成品は結局のところ作れないのだ
多少手を抜いてでも完成させなければいけない物がある
それが仕事、主にデスクワークにおける事実だ
じゃあ課題をやらないのか?と言われるとそうではない
僕も課題をやる
課題に向かって一言だけ
「いや、クソワロタ」
そう言えば手を抜いてもいい気がしてこないだろうか
少なくとも僕はこれでキャパシティを超えることなく上手く課題と付き合えている
何かを頑張るのは素晴らしい
ただ、それが目的になった時点でそれは意味をなさないのだ
「クソワロタ」と言って自分と課題の間に距離を置く
そうして出来た隙間を活用して手を抜く
これが僕の見つけた課題の攻略法だ
さて月曜日までに僕の課題は終わるのだろうか
終、
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