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私は逃げるために戦場から降りた

私には趣味がない。

たまに「趣味は?」と聞かれたときは、ギターとかお菓子作りとか言ってみたりする。

話のつなぎとして言ってみるけど、それはただの私が「出来ること」に過ぎなかった。

本当は趣味と言えるほどではないし、思い入れも今はない。

とにかく私は悲しいほどに物事にすぐ飽きてしまう人間だった。
だから「好き」という理由で何かを続けることができなかった。今までずっと。

だから、自分の好きなことに没頭している人がすごく羨ましい。

私も新しいことを始めると、周りが見えないくらいに没頭するけど、しばらく続けるとその勢いがどこにいったかのように熱は冷めてしまう。自分でも予想できない感情の結末に毎回焦る。「また?」とみんなに笑われるけど、正直私が一番そう思っていた。

私は夢中でそのことをやっているうちに、もっとできるようになりたい、スキルアップしたいと思うようになる。でもそれは楽しいからそう思うのではなかった。もっとこの道を極めたらすごい人になれるかもしれないと、そんなことを思っていた。

だからいつも少し苦しかったし、頑張って趣味を続けている感覚があった。もうこれは趣味ではなかったのかもしれない。そしてどれだけやっても「すごそうなあの人」「すごそうな誰か」には到底届かない。どれだけやってもというほど頑張ってもないのにそんなことを思っては大きな壁を感じ、やる気をなくして辞めていた。

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私は人と比べられるのを嫌った。肩書きや持っているもので価値をつけられることが怖かった。だから必死で技術やスキルを身につけようとした。好きだと思いこんで無理して頑張ることは辛かったが、私はそれ以上に「人の目ばかり気にせず自分がしたいことをしたらいい」という言葉のほうが重くしんどかった。それが見つかっていたらもともと苦労はしていなかったと思う。

何をしていいのかさえ分からなかったし、何が向いているのか誰かに決めて欲しかった。教えてほしかった。

何もない私は自分に自信を持つことができず、人と比べてばかりの人生を歩んできた。

私は、既に誰かがやっていることをすれば、また劣等感で自分が嫌になってしまう。だから人と同じことをすごく嫌った。自分が劣っていることがカタチとして見えるようで怖かったから。

だから誰もやっていないことをしよう。誰かと比べられないために。弱い自分を隠すために。

私は、既にあるフィールドから降りて、新しいフィールドを作ることを決めた。

そしてそれがどれほど難しいことかを今痛感している。誰もがやってないことを生み出すのは簡単なことではない。良いアイデアは急に「降りてくる」ようなものではないとわたしは思う。生み出すだけなら簡単かもしれないけど、人と違うだけの奇抜なアイデアに価値はないし、そんなアイデアであればきっと私は始めても続かない。

私が続けられることはひとつ。それは、自分が伝えたいことを軸に生まれたフィールドであることだった。

そして自分が伝えたいことというのは、自分の実体験を通して乗り越えたことや感じたことだということを最近知った。

それを通して一人でも誰か悩んでる人を救えないかと考える。自分の体験が誰かの人生の役に立てるとしたら、それ以上の幸せはないと思う。

ネガティブな過去も人の役に立つかもしれない、ポジティブな過去に変えることができるかもしれない。それなら私もやりがいを感じることができる。私の体験から生まれたメッセージを誰かに伝えることは、他の人じゃ務まらない。私がやるからこそ意味があるとおもった。

私が続けることができるのは、本当にこれしかない。

だから新しいフィールドをどんなものにしようか、と考えている時間は心が落ち着く。私を安定させるのはお金でも肩書きでもなんでもない。

新しいフィールドを生み出すために自分自身と向き合う時間だった。

それを知ることができただけでも、少し成長したなと褒めてあげたい。

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少しずつ私なりの生き方が見えかけている。まだぼんやりしているから不安に思うこともあるけど、焦らず自分に向き合っていきたいと思う。

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