縄跳び

遊びの意義と遊育くらぶ

“祖国の数百万人の青少年が1日2時間遊戯が行える休養があれば、どれだけ人間的な時が過ごせることか”


 これは1793年にドイツの体育教育学者グーツムーツ氏により発表された「遊戯書」の中の一文です。それから200年以上が経った現代でも全く同じことが言えます。

3つの間(時間・空間・仲間)を揃えた放課後の活動場所として「遊育くらぶ」が始まって約2年が経とうとしています。運動能力の低下を危惧したことに端を発した遊育くらぶですが、実はこの活動がその焦点だけではあまりに小さく、実際にはとても大きな意義を孕んでいることが分かってきました。小学生が過ごす放課後の時間は1,600時間を超えると言われています。これは授業の時間よりも長く、数字だけ見れば冒頭の“人間的な時が過ごせる”状況にはあると言えるかもしれません。しかし実際のところはどうでしょう。子どもは放課後も習い事に追われるのが現状です。または放課後の居場所として機能する学童も、大抵の場合はやることを制限された活動になっています。つまり4時間も5時間も椅子に座って拘束された後もまだ子どもには自由が与えられていないことになります。

冒頭の一文に戻りますと、“遊戯が行える休養”とあります。この遊戯がどれだけの効果をもたらすのかということについて、多くの大人は理解が不十分であると感じています。外遊びと運動能力や学力には正の相関があることが統計により明らかになっていますが、遊戯の効能はそれだけにとどまりません。遊戯の中においては当然友達との関わりがありますからコミュニケーションを取る必要があります。その中でココロに対して様々な刺激が入ります。それが子どもたちの情動面の発達に大きく影響を及ぼします。

また、遊育くらぶでは原則として「やっちゃダメ」なことはありませんが、一方で、「今日はこれをやります」という指示もありません。つまり何をするにも自由なわけですが、これが子どもたちにとってはなかなかハードルが高いのです。戦後70年、バブル崩壊後20年の時を経てなお、今の日本の教育は知識教授型が主流です。その結果子どもたちは与えられることに慣れ過ぎて、与えられない場合にどうしたらいいのかが分からないのです。

例えばドッジボールがしたいと思った子がいた場合(実際には「何がしたいのか」という欲求を持つことすら難しい時代ですが)、その子はドッジボールがしたいということをまず発信することをしなければならず、その上で仲間を集め、必要なものは何か、必要なスペースはどれぐらいか、ルールはどうするのかというところを考えて実行しなければなりません。これは子どもにとっては大変難儀で、実際遊育くらぶの子どもたちも初めの頃は全くできませんでした。それが今はどうでしょう。自分のやりたいことや要求を発信し、実行できるようになってきました。

“経験”が子どもたちを成長させたのです。子どもにとってできないことというのは、能力の問題ではなく、経験の問題が大きいのです。できないのはやったことがないからで、これは失敗が許されない風潮があることが大きく影響しています。失敗が怖いから言葉も行動も起こさない。それが経験不足、ひいては“できない”につながります。

先に述べたドッジボールの例は、言ってみれば自己の実現です。遊びの中にはこういった自己実現が多く存在します。こうした小さな自己実現を重ねていくことで、人間として大きく成長できるはずだと信じて遊育くらぶは活動しています。冒頭に挙げた「遊戯書」の中で同氏は、「生活準備、人格形成、性格教育といった教育的価値が遊戯に内在する」、そして「市民社会を支える者に求められる資質が、青少年期から遊戯によって獲得される」とも述べています。遊育くらぶでは、子どもたちが立派に育ち、社会の中で強く生きていくチカラを育んでいく活動を引き続き行なっていきます。

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