見出し画像

Queen「The Works」(1984)

クイーンはやっぱり素晴らしかった…。

ブログを通じてネット上で知り合った音楽仲間から、音楽評論家のスヌーピーこと今泉圭姫子氏が上梓された「青春のクイーン、永遠のフレディ」という本を頂戴しました。しかもわざわざスヌーピーのサイン入りで…、感謝感謝です。

私の洋楽を聴き始めるキッカケは1980年のモンキーズ・ショーの再放送にあるのですが、そこでモンキーズの音楽を知り、モンキーズにのめりこんでいったわけで、当時は情報源は雑誌かラジオしかなく、八木誠さんやスヌーピーがDJをされていた番組がモンキーズに関する唯一の情報源でした。つまりスヌーピーは私の音楽の先生なんですよね…。その先生が上梓された本、大事に拝読致しました。そして同時に大好きなクイーンについても、より理解を深めることが出来ました。

ということで今回はクイーンをご紹介致します。
問題作「Hot Space」は、その作風からソウル好きのジョン・ディーコンとフレディ・マーキュリーが主導したものと思っていたのですが、今泉さんが行ったジョンへのインタビューで、ジョン自身も気に入っていなかったことが判明。フレディが主導して制作されたものとのこと。その反省から「The Game」のようなロック寄りなアルバムを…ということで本作が1984年に発表されます。
私自身は70年代のクイーンのアルバムをこよなく愛しているため、このアルバムの評価はそれほど高いものではありませんでした。但し、この頃のクイーンを取り巻く背景、業界全体の音楽的変化を踏まえると、実はこのアルバムが素晴らしいものであることが、ようやく(恥ずかしながら)理解出来るようになってきました。

本作では補助のキーボディストを導入。それがアリス・クーパーと一緒に演奏していたフレッド・マンデルという方。あの大胆なシンセ・サウンドの①「RADIO GA GA」はフレッドの力量に拠るところも大きかったと思われます。
当時、何よりも驚いたのが、この楽曲の作者がロジャー・テイラーだったということ。ロジャーといえば根っからのロックンローラーであり、彼が作る楽曲はかなりロック寄りのサウンドでした。そのロジャーが16ビートを叩くのか…と当時はちょっとショックだったりしました。
そして、このピコピコサウンドがロック・アンセム的な楽曲になるとも思っても見ませんでした。その象徴的なシーンが「ライヴ・エイド」での演奏。この当時はフレッド・マンデルがツアーに出れず、代わりにスパイク・エドニーが参加。彼がブームタウン・ラッツにも参加していた関係で、「ライヴ・エイド」を主宰したボブ・ゲルドフに代わり、スパイクがまずはクィーンにこの参加を打診した経緯のようです。ここでの間奏のスタジアム全員の腕を振り上げるシーンは圧巻です。

当時は大ヒットした「RADIO GA GA」はクイーンではないとの思いが強かったですね(笑)。私にとってのクイーンはやはり初期の3枚。特にエッジの効いたブライアン・メイの作品が大好きでした。その初期ブライアンの作品を彷彿させる②「Tear It Up」。
ハードロックなファンクチューンですね。ブライアンのギターが炸裂してます。クイーンらしいコーラスもしっかり堪能出来ますし、これこそクイーンって感じです。

①②の流れから一転、これもまたフレディの持ち味が生かされたバラードの③「It's A Hard Life」。
「ボヘミアン・ラプソディ」にそっくりなメロディ、でもこうしたメロディが作れるのはフレディならでは。彼らしい楽曲だし、いつ聴いても素晴らしいバラードです。一方こうした楽曲でもギターソロはしっかりブライアン・メイ流。彼のギターはワンアンドオンリーなサウンドですね。PVはフレディの趣味丸出しの衣装(笑)。他のメンバーは(多分)付き合わされた格好ですね…。

フレディ作の軽快な⑦「Keep Passing The Open Windows」。
こちらをピックアップしたのは、ジョー・ジャクソンの「Steppin' Out」みたいな夜のドライブをイメージさせるような感覚を覚えたから。ジョン・ディーコンの軽快なランニング・ベースとダイナミックなコーラスが非常に魅力的ですね。ブライアンのギターソロはスライドも交えているのでしょうか。

本作ではブライアン・メイの単独作品が2曲収録されており、その2曲とも大好きな楽曲です。そしてそのもう1曲が⑧「Hammer to Fall」。
この曲のハードなギターやクイーンらしいコーラスが大好きなんですよね。曲調も70年代のハードロックなクイーンを彷彿させるカッコ良さ。PVはフレディ色を抑えたライヴ中心の映像。変な演出もなく、曲のカッコ良さがストレートに伝わってくる内容です。

これはやっぱりライブバージョンも聴きたくなるでしょう?ライヴですと、かなりテンポアップします。こちらも有名なライヴエイドの演奏シーン。冒頭にはフレディお得意の観客との掛け合いが…。フレディはエンターテイナーですね。いや~、ついついフレディがレミ・マレックに見えてしまう(笑)。いかんいかん…。ちなみにこのステージではキーボード奏者としてスパイク・エドニーも参加していたのですが、全くカメラを向けられなかったらしいです(笑)。

そしてこの素晴らしいアルバムは印象的な⑨「Is This the World We Created...?」、邦題「悲しい世界」でクロージングを迎えます。
本作が発表された1984年、12月に世界的にビッグセールスを記録した「Do They Know It’s Christmas?」が発表されてます。但しクイーンは参加しておりません。なぜか、実はクィーンはこの年の10月、南アフリカのサンシティでコンサートを行います。当時、この国はアパルトヘイトが行われており、イギリスのミュージック組合は南アフリカでコンサートをやることを禁止していたにも関わらす…。当然クイーンもメンバー間で相当議論したらしいのですが、やはり自分たちの音楽を求めているところには行くべき…との結論だったようです。この影響でクイーンは多くの方々から反感を買い、バンドエイドPJにも参加を見送らざるを得なかったのです。
もちろんクイーンは南アフリカへ行った際も、現地で「アパルトヘイトはなくすべきだ」と発言したり、現地黒人ミュージシャンから大歓迎を受けたりと、現地へ行って出来ることを行い、そういった姿勢が後から理解、評価されていきました。
この「Is This the World We Created...?」はフレディがアフリカの貧困事情を目の当たりにして、ブライアンと共に書き上げた曲で、実はバンドエイドPJよりも1年前にこうした活動をしていたのでした。そのバンドエイドPJの延長線上にあるライヴエイドにクイーンは20分間出演し、その後再登場した際にフレディとブライアンが演奏したのがこの曲だったわけです。このライブエイドでクイーンは復活し、再び黄金期を迎えていきます。

クイーンはやっぱり素晴らしかった…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?