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矢野顕子「Japanese Girl」(1976)

天才、矢野顕子のデビューアルバム。荒井由実、大貫妙子、吉田美奈子、矢野顕子、尾崎亜美…、70年代にデビューした女性SSW系アーチストは天才肌が多かったように思います。そんな中でも矢野顕子はワールドワイドな活動とは裏腹に、自らの音楽に日本を感じさせる要素もしっかり織り交ぜている稀有なアーチストですね。

そもそも彼女のデビューアルバムのタイトルが「Japanese Girl」。このアルバム、A面はリトル・フィートの面々が参加しており、当時若干21歳の矢野顕子が、海外の凄腕ミュージシャンと堂々と渡り合っているプレイが堪能出来ます
ローウェル・ジョージはレコ―ディング終了後、矢野顕子に「お金は受け取れない。自分たちは100パーセント出来なかった」と言いに来たらしい。リトル・フィートの面々は最初は仕事として引き受けたこのレコ―ディングについて、最後は矢野顕子の才能に魅了されたのでしょう。この音源からはそんな熱い彼等の思いも感じます。

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本作の仕掛人は三浦光紀。三浦氏は1972年にキングレコード内にベルウッドレコードを設立された方。70年代の日本の音楽シーンを裏方として支えた重要なキーマンで、はっぴいえんどのラストアルバム「Happy End」を米国で録音することを画策したのも三浦氏。その「Happy End」にはリトル・フィートの面々が参加しており、はっぴいえんどのメンバーだった鈴木茂が制作したソロアルバム「Band Wagon」にもリトル・フィートのメンバーが参加しておりました。

一方、矢野顕子も当時、自分のリズムと合うミュージシャンがなかなか日本人にはいないと言っていたらしい。それを聞いた三浦氏が、過去のコネクションからこの米国録音も実現したものと思われます(三浦氏はエグゼクティブ・プロデューサーにクレジットされてます)。
本作プロデューサーは矢野顕子本人と当時の夫である矢野誠(クレジットは小東洋)。1曲を除き、全曲作詞・作曲・アレンジは矢野顕子。A面5曲はリトル・フィートからローウェル・ジョージ(G)、ポール・バレール(G)、ケニー・グラッドニー(B)、リッチー・ヘイワード(Ds)、サム・クレイトン(Per)がガッチリ参加しております。

まずは矢野顕子&リトル・フィートといった感じの①「気球にのって」に驚いてください。
ローウェルのスライドが随所に唸りまくってます。そしてリッチー&ケニーのリズム隊とサムのパーカッションがグイグイ引っ張るニューオーリンズのセカンド・ライン。そこに矢野顕子の自由奔放なピアノとヴォーカルが飛び回ります。白眉は4分過ぎからエンディングまでのバトル。特にリッチーのドラムが凄い。21歳のデビューアルバム1曲目とは思えないオリジナリティ溢れる楽曲です。

矢野顕子が以前飼っていた犬の名前から取った②「クマ」は、タイトルからは想像もつかない変拍子の楽曲。
ちょっと中華風な楽曲、そして尺八を演奏しているのはなんとローウェル。日本通でもあったローウェルは尺八の先生に師事していたことがあったそうですが、当時矢野顕子自身はローウェルが尺八を演奏出来ることを知らず、ローウェルからのアイデアでこの演奏が実現したとのこと。ここでも矢野顕子のヴォーカルが自由過ぎる(笑)。スティールギターは駒沢裕城。

リリカルなピアノが印象的な③「電話線」も素晴らしい。間奏のローウェルのスライドギターが絶品のソロを聞かせてくれてます。
ここではリトル・フィートの演奏ではなく、当時のTV番組に出演した際の映像をアップしておきます。ドラムとベースのみを従えた矢野顕子の快演が楽しめます。こちらのベースとドラムは誰でしょう? 相当なテクニックです。同年に発表されたライヴアルバム「長月 神無月」のドラムが上原裕、ベースが平野融ですので、このお二人でしょうか。

せっかくなので和風テイストな楽曲もご紹介しておきます。⑤「ふなまち唄 PartⅡ」は恐らくリトル・フィートのリズム隊も結構楽しんだんじゃないでしょうか。
一聴してお分かりの通り、ねぶた祭のお囃子にインスパイアされて作った曲。前述の通り、ローウェル・ジョージは尺八や日本の音楽を学んだ時期があるので、こうした楽曲にも強く興味を魅かれたんじゃないでしょうか。それにしてもよくこんな曲作れますね~。

日本面とされたB面は日本のミュージシャンが参加。⑥「大いなる椎の木」のみは1973年の録音で、ベースは細野晴臣、ドラムは林立夫
正直、この曲は収録された時期が違うだけに、ちょっとアルバムの中では浮いた存在かもしれません。矢野さんにしては普通の楽曲(にしてもちょっと変わった曲なのですが)。

本作中、唯一の他人の楽曲が⑨「丘を越えて」。
藤山一郎の昭和6年のヒット曲。作詞:島田芳文、作曲:古賀政男。彼女らしいアレンジで、見事なポップソングに仕立て上げてしまいました。温故知新、こうした手法は彼女の十八番となっていきます。
デュエット相手はあがた森魚。ドラムはかしぶち哲郎、ベースは鈴木博文、しめ太鼓は鈴木慶一、ムーンライダースの面々ですね。ちなみにあがた森魚は同年に「日本少年」というアルバムを発表しており、本作アルバムタイトル「Japanese Girl」はこれに矢野顕子が着想を得たもの。

1996年11月号のレコードコレクターズ誌には、当時の状況を語った矢野さんのインタビュー記事が掲載されてますが、そこで彼女は「世界中で自分しか作れないレコードを作りたかった」と語ってます。まさにそれが実現した世界に誇れる名盤、それが本作です。後のYMOとの共演でも堂々と渡り合っていた矢野さんですが、そもそもデビュー時からリトル・フィートをも驚愕させていたんですね…。
(フィートのメンバーのポール・・バレールも、後に「ピアノの演奏力は嬉しい驚きだった。録音に参加出来て嬉しかったよ。」)

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