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作家の”中身”を知りたいか

こんにちは、ゆのまると申します。

週末は移動時間が結構ありまして、二冊、本を読み終えることができました。

読んだ本はこちら。


『7人の名探偵』は2017年9月刊行で、副題に「新本格30周年記念アンソロジー」とあります。1987年に『十角館の殺人』が発売されてから30年、いわゆる新本格ムーブメントの中核をなしてきた7人の作家が、それぞれの名探偵を描いています。しかも書き下ろしで!

それぞれの作家をシルエットで表現した表紙も素敵ですよね。ちょっとした自慢ですが、私、このうちの綾辻先生のイラストを使用したしおりを持っているんです。

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ブックオフで買った本にたまたま挟まっていたものですが、私の小さな宝物の一つです。

このアンソロジーに参加しているのは、綾辻行人、歌野晶午、法月綸太郎、有栖川有栖、我孫子武丸、山口雅也、麻耶雄嵩の7名。これこそまさに「超豪華メンバー」というもの。ミステリーに詳しくない方でも、聞き覚えのある名前が多いのではないでしょうか。

……なーんて偉そうなことを書きましたが、このうち私が読んだことがあるのは綾辻先生と有栖川先生、歌野先生のみ。このあたりのレジェンドにはいつか触れねばと思っていたので、そういった意味でもいい入門書になりました。


いずれも60ページ程度の短編を書かれているのですが、その限られた紙幅の中で最も完成度が高く感じたのは有栖川先生の「船長が死んだ夜」でした。

こちらにはご存知、「作家アリス」シリーズの火村英生と有栖川有栖が登場。取材旅行先でたまたま遭遇した殺人事件を描いています。

作家アリス、その第一作目である『46番目の密室』は読んだのですが、正直今一つハマりきれなかったんですよね。何故かアリスの話す関西弁が不自然に感じられて、物語に集中できなかったというか……。

ところが、それから30年あまりが経った火村とアリスのコンビは、さすがの一言。あっという間に読み切ってしまいました。

手が止まっていたアリスシリーズも、やはりしっかり読み進めていきたい。少なくとも、「学生アリス」には触れないと。そんな思いを新たにしたのでした。


続いて面白かったのは、山口雅也先生の「毒饅頭怖い」。山口先生はお初の作家さんです。

あの有名な落語「饅頭怖い」を推理問題に進化させた作品で、「落語×ミステリー」というテーマの目新しさもさることながら、やはりグッときたのはそのオチでした。

「○○○○というのなら、それは××××に違いあるまい」(伏せ字の文字数は本文と関係ありません)

高座で落語家がそう言ってお辞儀をする様がはっきりとイメージでき、思わず拍手。最近時代劇にハマっていることもあり、これまで縁遠く感じていた落語へも興味が湧いてきました。


さて。アンソロジーを手に取る以上、そこにはお目当ての作家さんがいるもので。

私にとってのそれは、言うまでもなく綾辻先生の作品でした。

ところが、トリに控えていたのはかなりの異色作。かつて京大ミス研にあったといわれる「幻の犯人当て」について、その卒業生である綾辻、我孫子、法月、そして小野不由美先生というミステリ作家達が話し合う、実名小説だったのです。

「あの」作家さん達が綾辻邸でお酒やコーヒーを飲みながらああでもないこうでもないと語り合う――。それは、憧れの作家さんのごくプライベートに近い姿を覗き見できる、夢のような空間ではあったのですが、なかには受け付けない人もいるかもしれない。そんな小さな不安を抱きもしました。


というのも、好きな作家さんは「人間」であってほしくない。私の中にも少なからず、そうした思いがあるからです。

いや、もちろん生きたヒトであることはわかっています。そうではなく、こんなにも素晴らしい作品を生み出す創造主は、どこか自分とは隔絶した存在であってほしい、作品を介さないナマの姿は見たくない……。そんなワガママな願いといいましょうか。

こんなにも自分を夢中にさせ、悩ませ、大きく感情を揺り動かす「物語」という存在。それに魅了され、あるいは嫌悪し、あるいは共感するからこそ、サイン会などでその姿を拝見した時に「本当に存在したのか」と驚きを覚えるのです。同人誌即売会でサークル主と対面した時に、「あっあっ」としか言えなくなる現象と似ていますね。

作品と作家をどれくらい分けて考えるか。その程度でいえば、私は大好きな作品であればあるほど、作家さん自身をも好きになっていくタイプで、その辺りを分けることはあまりしません。ですが、あくまで作品は作品、それを生み出した作家のポリシーや背景には興味がない、そういった方が一定数いることも理解はできるのです。

もちろん、このアンソロジーに収められている「仮題・ぬえの密室」が、どれくらい事実に基づいた話なのか、読者である私達にはわかりません。100%ノンフィクションかもしれないし、実在の人物を借りたまったくの創作なのかも。

この前に読んでいた『どんどん橋、落ちた』でも綾辻先生の一人称視点で語られる話が多かっただけに、作家と作品、読者と作家の境界が曖昧になる瞬間について考えを巡らせるきっかけになりました。私は面白く読んだけれど、人に勧める時はほんの少し注意した方がいいのかもしれないですね。


SNSが身近になったことで、私達は小説やインタビューから想像できる以上の「作家さんの顔」を知ることができるようになりました。それは嬉しいことでもありますが、時には知りたくなかった一面に触れてしまうことでもあるでしょう。

私にとって最も幸いなことは、私が大好きな作家さんのツートップがSNSの使い方が上手……というか、そこに表れる生態がなんとも私好みなことです。

もはやモルカーアカウントと化している綾辻先生はもちろん、米澤穂信先生のTwitterも癒し要素満載でして……。

(そんなことをつぶやく貴方が好きです)

もちろん、作品以外での作家さんの露出なんて、自分で調べなければ目にすることはありません。見たくないものは見ない、好きなものだけを見る。そのスタンスを忘れずに、あまり凝り固まった考えに縛られることなく、これからも読書を楽しんでいこうと思います。おしまい。


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