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【読書感想文】米澤穂信『さよなら妖精』ほかベルーフシリーズ

初めて『さよなら妖精』を読んだのは、穂信さんにハマった大学生の頃。

あの「古典部」シリーズと同じく、主人公は高校生。わくわくしながら手に取ったものの当時の私にはわからない部分も多く、「国際的でなんだか異色だなぁ」と、その程度の感想しか抱けませんでした。

時は流れて2021年。

ずっと気になっていた『王とサーカス』を読破した私は、同じ〈ベルーフ〉シリーズに分類される『真実の10メートル手前』、そして『さよなら妖精』を改めて読むこととしました。

ちなみに「ベルーフ」とは、ドイツ語で「使命」「天職」という意味だそう。続く『真実の10メートル手前』『王とサーカス』は、記者となった太刀洗万智たちあらいまちの活動を記録するものですが、今作ではあくまで登場人物の一人であり、主人公の目を通して語られるのみです。

ということで今回は『さよなら妖精』の読書メモ。ネタバレありますので未読の方はご注意くださいね。



1991年4月。雨宿りをするひとりの少女との偶然の出会いが、謎に満ちた日々への扉を開けた。遠い国からはるばるおれたちの街にやって来た少女、マーヤ。彼女と過ごす、謎に満ちた日常。そして彼女が帰国した後、おれたちの最大の謎解きが始まる。

本書あらすじより

主人公の守屋路行もりやみちゆきがユーゴスラヴィアから来た少女、マーヤと出会ったことから物語は始まります。

守屋達が住むのは、人口10万人の地方中枢都市・藤柴市。親の仕事の都合で日本を訪れたマーヤに、この地域を紹介するという名目であちこちを回っているうちに彼らは小さな謎に遭遇します。

雨が降っているのに傘を差さない人、墓前に供えられた紅白饅頭。それらは私からすると「おや?」とは思えど、「まぁそんなこともあるか」と見過ごしてしまうほどの小さな謎です。異国人らしいというかそもそもの性質なのか、「日本ではこれが当たり前なのか」「哲学的意味がありますか?」と大きな目で覗き込みながら尋ねてくるマーヤ。守屋達は、そんなマーヤの純粋な疑問に答えるべく、見慣れたはずの景色を改めて見つめ直し、謎と向き合うのです。


さて、今回の語り部である守屋くん。穂信さんの作品には高校生が登場することが多いですが、その中である意味一番高校生らしいと感じました。

読んでいていつも思うのが、「この子達はなんて頭がいいんだろう……」ということ。

ありがちな色恋沙汰はあまり出てこず、一様に頭の回転が速くて辞書を引かないとわからないような難しい言葉も知っています。作中で「授業で習ったじゃないか」と呆れられるようなことも、高校生の私は知らなかったでしょうし、「人は死んだらどうなるのか」なんて問いに、一般的な認識と自分の考えを織り交ぜて答えるなんて、私は今でもできる自信がありません。

点と点を結びつけて思考するのに慣れていて、合理的な判断ができる。それは穂信さんが描く高校生に、ある程度共通した姿でした。

彼らに比べると、守屋は少々未熟なように見えました。謎を前にほとんど考えることもせずすぐ誰かに投げ出そうとするし、自分で自分のことを特段熱中したものはない、と評しています。読書はするけれど「本を読む人間は高校の教室においてマイノリティである」としてそのような振る舞いも自分ではしません。

教室で読書をすることの後ろめたさ。学生時代の私もそうだったので、その気持ちはよくわかります。友人からは「何読んでるの?」と絶対に聞かれるし、教室のそこかしこで繰り広げられる談笑の輪に入れない自分を、まざまざと意識させられるのもなんだか惨めな気持ちでした。

学業も部活もそこそこにこなし、おそらく何もなければ普通に大学受験をして、就職をしたであろう守屋。しかし彼は、ユーゴスラヴィアという何処にあるのかもわからない国から来たマーヤと出会い、そんな生活に風穴を開けられたように感じます。

自分に見える範囲だけが世界の全てだと思っていた。しかし、実は全く別の世界もあって、どうやらそれは行き来ができるらしい。

マーヤと過ごす中で芽生えた熱情は、彼女に「ユーゴスラヴィアに連れていってくれ」と乞う形で現れました。ここではないどこかへ。自分にできる「なにか」を。あまりに衝動的で、浅く、なんて万能感に溢れた若者なんだろう。それは、自分にできる範囲を決めて久しい私からすると、眩しすぎる姿でした。


そんな守屋にマーヤは「観光」のために命を懸けるのはよくない、と優しく諭し、彼女は彼女の国に帰っていきました。1991年7月。状況が悪化する一方のユーゴスラヴィアへ、です。

物語の後半は、「マーヤはユーゴスラヴィアの『どこ』へ帰ったのか?」というのが主題となります。ユーゴスラヴィアには6つの共和国があり、解体に向かう途中でその安全度合いも全く違っています。

読者のためにユーゴスラヴィアの地図や共和国ごとの特徴を表にまとめてくれているのですが、この時ばかりは己の知識不足を恨みました……。聞き慣れない地名がどんどん出てくる中での謎解きは、ページを行きつ戻りつ地域名を確認しながらでは、その緊迫感に追いつけなかったのです。

これは『氷菓』の最大の謎解きの時と同じでした。読書は知識がなくてもできるけれど、事前に知っていることが多い方が楽しめます。とはいえユーゴスラヴィア紛争については、一朝一夕で学べる事柄ではないのでその塩梅が難しいところですが……。


事実にたどり着いた守屋の前に、引導を渡すかのように万智が現れます。

二人の対峙シーンは少し唐突なようにも感じましたが、これまでの語りが全て守屋の主観だと考えれば納得もいきます。「あいつはこういう奴だ」「こんなことをするはずがない」そんな先入観にとらわれて、守屋には相手との対話が足りなかったのではないかと感じました。

これらの出来事を経て万智は記者になり、『真実の10メートル手前』には守屋と思しき人物も登場します。

記者としてあちこち飛び回る万智に対し、「地味というより無難に過ぎる、濃紺のネクタイを締めて」スーツを着込んだ守屋(仮)。渡航費を貯めてはるか遠いユーゴスラヴィアに渡ろうとしていた青年は、その後一体どんな道を選んだのでしょうか?

『さよなら妖精』でも『真実の10メートル手前』でも、万智は客観的にしか描かれません。冷たい、一言も二言も足りない、「太刀洗」という名字がよく似合う。そんなふうに評されてしまう彼女は、その心のうちに何を抱えているのか。

その一端に触れられるという意味でも、『王とサーカス』は非常に読み応えのある作品です。その原点に立ち返った今、『王とサーカス』も読み返したいところではあるのですが、こちらもなかなか骨のある作品。一度読んだ時も自分の中で消化しきれない部分があったので、もう少し寝かせてから、またじっくり読んでみようと思います。


最後に、現在『週刊新潮』で穂信さんの短編が掲載されているんだとか。

穂信さんの描く女性は合理的に思考して行動する人物が多く好感が持てるので、こちらも非常に気になっています。挿絵の雰囲気もとても素敵。


だらだらと書いてきましたが、そろそろ終わろうと思います。結局何を読んでも、「やっぱり穂信さんの作品が好き」になってしまうんだよなぁ。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。今度は何を読もうかしらね。




ところで、初めて読んだ時も今回も、最も印象に残ったシーンといえば酒盛りマーヤの送別会の場面です。

高校三年生4人+1人で刺し盛りをつまみに日本酒二升をカパカパと……。90年代前半の学生というのは、あんなに飲み慣れているものだったのでしょうか……?一番の謎かもしれません。


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