連載長編小説『美しき復讐の女神』16-1
16
不吉な着信音で目が覚めた。聞き慣れたメロディーも寝起きに唐突に鳴っては不快だ。三浜はスマートフォンを手繰り寄せ、画面に表示された名前を見て舌を鳴らした。電話を掛けて来たのは瀧本だった。
「何で出ないんだよ」
通話を始めると、挨拶もなしに瀧本の不満そうな声が言った。三浜は、もう二、三度瀧本から電話が掛かっていたのを知っていた。だが睡眠を妨害された嫌悪感と、どうせクリスマスデートの惚気を聞かされるだけだと思い無視していたのだ。
「ごめん寝てた」
三浜は本当のことを言った。瀧本からの着信に起こされたものの、その後また眠りに落ちていた。
「こんな時間まで? 浩介、昨日何時まで起きてたんだよ」
「べつに、いつも通りだよ」
三浜は欠伸をしながら答え、時刻を確認した。すでに午後零時を回っていた。昨夜は、本当に普段通りの生活だった。いや、例年と比べれば、ずっと寂しいクリスマス・イブだった。クリスマスプレゼントもクリスマスケーキも、もうとっくに用意しなくなっていたが、街がクリスマス一色で賑わう中、両親と祝ったクリスマスのことを思い出すと自分だけが世間の蚊帳の外にいるような感じがした。三浜は昨夜、柄にもなく祈りを捧げた。静かな部屋の中、夜が深まるにつれ両親が恋しくなった。明日のクリスマスにイエスのように両親を復活させてくれ、と。せめて一言、自分のために尽くしてくれた両親の二十年間に感謝を述べたいと思った。それが叶えば、少しは生きる苦しみが軽くなるのではないかとさえ思った。
「今からちょっと来てくれよ」
「舞浜にか? 言っただろ、俺は今日予定があるんだ」
「舞浜にじゃない。おとめ山公園に来てくれ。そう遠くないだろ?」
わけがわからなかった。三浜は、訊いた。
「今ディズニーじゃないのか? まさかもう帰って来たわけじゃないだろう?」
「いいから、絶対来いよ。二時だ」
瀧本はそのまま通話を終わらせた。三浜はわけもわからずベッドに身を投げた。ひょっとして乃愛に振られたのか、よほどディズニーが楽しくなかったのか、それともディズニーを半日満喫した後でこっちに戻って公園に行く予定だったのか、そんなことを考えたが、自分にはどうでもいいことだと気づいた三浜は考えるのをやめた。おとめ山公園ならアパートから十五分も掛からない。だがわざわざ出向くのは面倒だった。ただ、と三浜は昼食を摂りながら思った。瀧本のことだ、二時を過ぎてもこの寒い中一時間は待ってるだろうな。凛と待ち合わせの時間まで余裕がある。三浜は、午後二時過ぎにおとめ山公園に向かった。
おとめ山通りから公園に入り、見晴台に上ったが、そこに瀧本はいなかった。公園のどこにいるのか、それを訊こうとして電話を掛けたが繋がらなかった。三浜は見晴台を下り、池の周辺を見渡した。そこにも瀧本の姿はなく、相馬坂沿いに園内を北上し、芝生広場に出た。芝生広場には子供が遊ぶような遊具がいくつか設置されていて、大人はクリスマスを楽しむ子供連れの親くらいのものだった。家族でクリスマスを過ごす幸せな一家を見ていると、嫉妬でも羨望でもない何かが三浜の中でギシッと音を立てた。芝生広場から立ち去ろうと沿道を歩いていると、青々と茂る広場の一角からこちらに向かって手を振っている者がいた。明奈だった。三浜が立ち止まったのを見て、明奈は駆け出した。ベージュのロングコートを纏った体が火照ったらしく、白い頬が微かに赤らんでいる。真ん丸の目で微笑んだ明奈は、三浜の手を取って斜面になっている芝生広場へと連れて行った。
「呼び出してごめんね」明奈は言った。
「瀧本は?」
「いない。今頃乃愛とディズニー楽しんでるよ。あたしがお願いして、呼び出してもらったの。騙すような真似してごめんね」
「騙されたとは思ってないけど……」
「今日、予定があるんだよね?」
悲しそうに微笑した明奈に三浜は小さく頷いた。
「わかってた。でもちょっとでも会えないかなって思ったの。今日はこれだけ、渡しに来た。受け取ってもらえるかな」
明奈が差し出した紙袋を三浜は受け取った。中を見ると、マフラーが入っていた。所々網目の大きさが異なっていて、わざわざ編んでくれたのだとすぐにわかった。三浜が取り出したマフラーを、明奈がそっと掴んで三浜の首に巻いた。よく見ると、明奈も同じマフラーをしていた。三浜は黒で、明奈は鮮やかな青だ。
「色まで揃えるのはやり過ぎかなと思って、三浜君のは黒にした」
「うん」と三浜は頷いた。胸元に垂れるマフラーに触れ、言った。「あったかい。ありがとう」
「よかった……」明奈は鼻の頭を掻いた。「手編みとか重いって言われるかと思った。もらってくれないんじゃないかって。でも喜んでくれたみたいでよかった」
「さすがにそこまで心無い男じゃないよ。柊さんの力作だし、可愛らしい柄まで入ってて、すごいね」三浜はマフラーの端のほうに編み込まれた葉っぱとクリスマスツリーを撫でながら言った。「このギザギザの葉っぱはツリーから落ちたってことなのかな」
何となく、マフラーの中に何か物語でも込められているのではないかと思った。あわてんぼうのサンタクロースが、折り紙付きの慌ただしさでプレゼントの入った袋をツリーに引っ掛けてしまった。そんなお茶目な場面でも刺繍されているかのように感じ、つい三浜も微笑ましく思った。だが明奈は予想だにしなかった三浜の指摘に、目を丸くした。
「それいいね。そういう可愛らしいエピソードが入ってても」明奈は嬉しそうに手で口元を覆うと、自分のマフラーを手に取って続けた。「この葉っぱはヒイラギなんだ」
「え?」
明奈は、虚を突かれて訊き返した三浜に説明した。
「あたしの名前だから刺繍したんじゃないよ。苗字が柊だったのは本当に偶然だから。でもヒイラギって、今の三浜君にはぴったりだと思ったんだ。どんな木か知ってる?」
「知らない」
「ヒイラギって邪気を払う縁起のいい木なんだよ? だから今の三浜君に必要なんじゃないかと思って……。冬の間、首に巻いてくれれば三浜君を守ってくれるんじゃないかと思って」
「へえ、そんなことまで考えて作ってくれたのか」
「決めたからさ、三浜君と向き合うって。それって、三浜君の苦しみとも向き合うってことだと思うの。だから小さなことでも、力になれたらいいなって」
決して自己満足ではない、心の底から三浜を想って話す明奈が虚しかった。冷たい風が揺らすショートボブを明奈は耳に掻き上げた。整った横顔は三浜にはただ切なく映るばかりだった。もし両親が交通事故に遭わなかったら、もし両親が今も生きていて、三浜自身幸福な暮らしをしていれば、凛ではなく明奈に心惹かれていたに違いない。それだけに、健気に明るい笑顔を見せる明奈が残酷に思えた。三浜の視線が、ふと翳った。
「大事に使わせてもらう。ありがとう」マフラーのヒイラギを撫でると、心が洗われる心地がした。だが三浜は、無情にも明奈を残して行かなければならなかった。「今日は、これで。この後予定があるから。……行かないと」
「うん」明奈は大きく首を縦に振った。「わかってる」
芝生広場で三浜を見つけた時と同じように、明奈は大きく手を振って三浜を見送った。彼女の向ける笑顔が三浜の涙腺を刺激した。
「申し訳ない」ヒイラギに、そう呟いた。
16-2へと続く……
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?