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思考と感情

私は思考家でいつも頭の中にいる。

先日、考えていることが腑に落ちた。

自分の人生問題の真っただ中からどうにかして抜け出すためにさまざまな情報を取り入れ、試行錯誤しながら今日まで何とかやってきた。


ちょっとの新しい行動であっさり問題が解決したとき
自分は一生懸命頑張っているつもりなのにどうにもならないとき
どんどん深みにはまって、わかればわかるほど苦しくなる時


今振り返ってその道どりを顧みたとき、本当によくめげずにやってきたと思う。

それでも今一つすっきりしない感があり、それは何か突きとめる必要があるという感覚に従い、座った。

いろいろ不都合な出来事があると一生懸命考えて対策をとり解決するようにつとめ、前進し続けるのが人生のように思っていた。不快感を不快感でないように視点を変え、理由を変え、理解を変え、感じ方を変えようとする。そして納得する。半世紀近く生きてくるとそれもうまく消化できるようになった気がする。

でもそれはまだNegotiation 自分との交渉でしかない。

交渉をしている間は
程度こそ違えど解決ではない。


全身が燃えるように熱くなり
深いところからうめくようなものが沸き上がる

それに抵抗することなく
身をゆだね
言葉で限定することなく
ただそこに在る

こんな細胞の表現をいままでにどれだけ受け止めたことがあるか
こんな細胞の感覚はいつからそこに在ったのか

ただただ感じ取る。

その時の感覚、「霧散」

そのとき初めて

「開放した」のではなく、

「開放された」ことを実感する。

I was released.

まさに受身形である。


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