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伝言ゲームの恐ろしさを痛感した話

直接向き合って話し合っても、全く同じように理解し合えていることもなく、色々なところで些細なズレを感じる事があります。
1対1ですらこうなのです。これが3人、4人、5にん・・・と増えていけばどうなるか。

同じ言葉でもその人ごとによって解釈が少しずつ変わり、次に伝わるときは同じ言葉にその人の解釈が加わり、さらにその次に伝わる時は、同じ言葉に前の人の解釈を踏まえたその人の解釈が加わり・・・
広まれば広まるほど、最初と全然違う話になるというのはよく分かる話だなと思います。

さも本当のように回ってくる噂話は中々の攻撃力を持っています。まともに受けるとその時の自分の防御力によっては致命傷になる可能性もあります。

どんな物事も「一度疑ってみる」という気持ちは大事なのかなと思います。「疑う」という言葉が苦手であれば「違う可能性はないか」と置き換えてみても良いかもしれません。

一つの情報だけを信じることはリスクが高いです。例えそれが信用できる人からの言葉であったとしてもです。それはその人が嘘をついているということではなく、その人自身が知らないうちに伝言ゲームに乗っかっていて、前の話に自分の解釈を加えているかもしれないからです。

物事を多面的に見ることは大事で、そのためには情報は必要です。言われたことをそのまま信じるのではなく、色々と情報を集めて整理していく。不透明なところはいくつかの仮説を立てておく。
そして伝言ゲームは自分で終わりにする。
本当に必要なことは伝言ではなく、多くは正式な通達があるはずなので。

とても難しいことですが、こう言った姿勢で物事と向き合うことはとても大切なのではないかと思っています。
先日、噂話に振り回されて気持ちが大きく揺らぎ、涙する人を見て、つくづくそう思いました。

と、言いながらも、知らず知らずのうちに自分も巻き込まれている、あるいは巻き込んでいる可能性も十二分にあるので、あらためて気をつけないといけないなと思いました。

今日もお疲れ様でした。
明日も目の前のことを一つ一つ丁寧に。

#日記 #エッセイ #コラム #伝言ゲーム #情報 #巻き込まれない #丁寧に

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