ショートショート「僕ら、同棲しない?」
あれから随分と時は流れ、僕たちは大学を卒業した。大学の吹奏楽サークルで運命の再会を果たした僕ら。あっという間に恋が芽生え、いつの間にか恋が愛へと成長しようとしていた。
僕の名前は「紺野雅貴(こんのまさき)」。どこにでもいる普通の大学生だと自分では思っているが、彼女曰く“一見普通なのに、よくよく見るとすごく変な人”。どうでもいいかもしれないけれど、初体験は既に済ませている。ちなみに、彼女の名前は「星名楓(ほしなかえで)」だ。僕らは大学を卒業すると、偶然にも同じ企業に就職した。お互いの就職活動のことを実はよく知らなかったのだけれど、入社式で紫色と橙色のコサージュを胸につけたそれぞれの姿を見たとき、場を憚らず、思わず仰天してしまった。
「あれ、まっくん!」
「楓、こんなところで何してるんだ?」
話を聞いてみると、楓は商品開発部に配属されたらしい。僕はマーケティング部に配属されたのだけど、一つのものを突き詰める傾向にある僕らにとって、この選択は案外悪いものではないのかもしれない。新人研修の際、僕らは同じ班で同じように怒鳴られまくった。上司は怖かったし、同級生の目も冷ややかだったのだけど、毎晩のようにお互いの家で心の傷を慰めあっているうちに、それまで放置されたも同然だった恋仲が少しずつ進展を見せはじめたのである。要は、怪我の功名ってやつか?
まあ、いい。最近、楓は髪をそれなりに切った。朝礼がわりにヒップホップのリズムに乗せて社訓を読むという習慣が楓の部署にはあるらしく、「なんとなく邪魔だ」という理由でとりあえずボブにしてみたらしい。楓のボブ姿はそれなりに新鮮で素敵だったのだが、なぜか楓はその髪型のことをあまり気に入っていないようだ。
「毛先も跳ねるし、友達に朝一番に囲まれるし……」
お願いだから、それ以上はやめてほしい。音楽で生きてきた僕たちにとって、音楽以外のフィールドで悪戦苦闘している現状はあまり良いものとは言えなかった。楓が、みるみるうちに弱っていく。このままではいけない。僕は夏休みが終わった頃、楓に「同棲しないか」という誘いをかけてみることにした。
「ごめんね、急に呼び出したりして」
「ううん、いいよ。まっくんと話したかったし」
「あのね、もしそっちが良かったらなんだけど……」
「わかった。『同棲しよ?』でしょ」
「えっ、どうしてわかったの!?」
「だって、まっくんとは長い付き合いだもん」
「楓には全部お見通しってことか」
「うん」
話は驚くほど早く進んだ。楓は僕がこう切り出すのをまるで待っていたかのように全ての言葉を読み取っていた。僕がこの話を切り出したとき、楓はすごく嬉しそうだった。
「まっくんから切り出してくれて、ありがとね」
「楓もタイミング図ってたの?」
「うん。親元から早く独り立ちしたかったし」
「そっか」
もう夏が近づいていた。僕らはベッドで身体を重ね合うと、何度目かの行為に及んだ。本当はこういうことをしている場合ではないけれど、もう我慢できなかった。行為の後、少しずつウトウトし始めた僕らは、同じベッドで互いのぬくもりを共有した。楓の肌は、いつものように素敵なあたたかさだった。
「今夜はありがとう」
「ううん、まっくんのおかげで楽しい夜だったよ」
ふたりの夜を象徴するコーヒーは、どこか清々しい味がした。それは純度100%の愛の味だった。僕らの恋は一体何処へ向かっていくのだろう。
こうして僕らは同棲を始めたわけだけども、二人の生活は以前とさして大きな違いのあるものではなかった。僕は上司に怒鳴られるし、楓はせっかく頑張って印刷した書類を地面にばら撒くし、電話で「おい、伊藤」と上司のことを大声で呼び捨てにするし。相変わらず、不出来なカップルだった。
でも、これでいいんだ。僕は楓、いや、ポッカのことが好きだから。どんなに疲れていても、一日の終わりにはぎゅっと抱きしめてくれる楓。何かをしてあげると、子供のように喜んでくれる楓。そういや、そのポカポカした身体と名前の頭文字をとって、ポッカというニックネームになったんだっけ。
僕らが制服を着ていた頃からの友達、戦友、恋人。今週末、ポッカを久々にスタジオへ連れて行ってあげようと思っている。彼女のフルート、久しく聴いていないから。聴きたいんだ、あの音が。
今夜もポッカが眠りに就いた頃、ひそかに旋律を奏でる男がいる。それが僕だ。楓を喜ばせてあげたい、少しでも楽しい時間を過ごしてほしい。純粋な恋は、お互いの心を成長させる。だから、この微かな旋律が愛に変わる日を心待ちにしているんだ。
もしも、この瞬間を恋と呼ぶのなら。今日も310号室から小さなテナーサックスの音色が聞こえる。
【あとがき】
ちょっと順番が逆かもだけど、まっくんと星名さんの大学時代の物語を読みたいという方がいらっしゃれば、良かったらどうぞ。
http://kaffeemorning2.xxxxxxxx.jp/novel25.html
私も今恋をしていますが、星名さんとまっくんの恋はひとつの理想像みたいなものなんです。この子たちの恋は驚くほどまっすぐで、屈折のない物語を“音楽”に媒介されて刻み続けています。
恋愛小説、前日談でもあり、後日談でもある。そんな物語を紡いでみました。
2019.12.2
Yuu
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!