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十七の頃、わたしは。 | 20世紀生まれの青春百景 #17

 もう季刊になってしまったけれども、『Seventeen』という雑誌はいつの時代も少女たちにとって特別な雑誌だった。そもそも、十七歳という年齢自体が異色の響きを持っているのだ。大人ではなくとも、子どもでもない。その中間にある年齢で、非常に儚いものを感じさせられる。

 決してエロティックな話ではないし、だからといってプラトニックとも言い切れないのだけども、この時代に共鳴する人が少なからずいることには思わず納得せざるを得ない。わたし自身にとっても、十七歳は特別な時代だった。

 未だに十七歳の頃がいちばん忙しかったと思う。どんなに作っても、どんなに動いても、何も疲れなかった。友達と夜通し喋ったり、一日中カラオケで歌い倒したりもした。不思議な時代だった。きっと、中学生の頃だとエゴが強すぎて友人とうまくやれなかっただろうし、今なら引っ込み思案になりすぎて何もできないだろう。さまざまなバランスがちょうど良かった。できるなら、永遠に続いてほしかった。

 人が大人になっていく過程はそれぞれに違うが、わたしの場合は、なんともいえない違和感をずっと抱いていた。まるで老成していくような気持ちすら持っているのに、世間的には若者としか見られず、いつまで経っても若々しさと凛々しさを求められる。大人たちが押し付ける若者像なんて幻想でしかないけれども、幻想の中に若者を閉じ込めたい人はかなり多い。

 若者という言葉も、無責任だと思う。そもそも、若いという字はどういった成り立ちで生まれたのだろうか。字だけを見ると、草冠に右という字だけども、どうやら象形文字に成り立ちがあるらしい。もっと言うと、神事に従事する若い女性の姿に由来して、「したがう」という意味を持つそうだ。漢字の成り立ちにはさまざまな解釈があるので、どれかを断定的に由来として扱うことは出来ないのだが、仮に「したがう」という言葉から成り立っているとしたら、わたしは若者に若者という言葉を扱うのはちょっと相応しくないのではないかと思わざるを得ない。

 たとえば、これは非学者の戯言に過ぎないのだが、“蒼い春を生きる人たち”という意味で「蒼者(そうしゃ)」という言葉を当てはめてみても良いのではないか。(そもそも特定の世代を単語に当てはめてしまうこと自体が無粋な気もするが)

 わたしたちはもう十七歳から五年が経った。この五年という年月は絶妙な時間だ。記憶の彼方へ忘れ去られてしまっているわけでもなく、決して鮮明に昨日の出来事のように出てくるわけでもない。友達と話している時にちょっとした昔話になるレベルだが、わりと当事者たちのアフターストーリーも把握しやすい距離感にある。

 結局、もう十七歳の頃に付き合っていた人たちとはほとんど連絡が取れていないのだけども、少なくとも、わたしはここにいる。もしよかったら、ご飯にでもいこう。なんだか昔話をする度に書いている気がするが、今回もこんな締めである。

 P.S)あの頃に読んだファッション雑誌といえば、『装苑』の欅坂46特集がすごく好きだった。

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 2024.4.9
 坂岡 優

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