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はじめての爆風スランプ | 2000年生まれのポピュラー文化探訪 #99

 聖飢魔II、米米CLUBに並び、80年代のソニー系レーベルに所属した三大コミカルバンドの一角を強力に担った爆風スランプが今年活動を再開することを発表しました。「IKIGAI」をテーマとした新曲の制作、東名阪のコンサートツアーの実施も同時に発表され、当時を知る多くのファンから反響を集めています。

 現在23歳のわたしはコロナ禍の自粛期間中にたまたまサブスクでアルバム『Hard Boiled』を手に取ったことから爆風にのめり込み、あっという間にその独特すぎる世界観にのめり込んでいきました。初期の「無理だ!!」に代表されるコミカルな路線も、中期のホーン路線や青春路線も、後期のハードロック路線も、あらゆる音楽性を飲み込みながら大きくなり続けたバンドは、1999年にさまざまな顔を見せながら15年以上に及ぶ旅を終えました。

 サンプラザ中野くんの文学的かつどこか屈折したような歌詞。パッパラー河合さんのプログレに影響を受けたギタープレイやメロディアスな楽曲。ファンキー末吉さんのテクニカルなドラム。江川ほーじんさんのラリー・グラハム直系のベースプレイ。ほーじんさん脱退後に加入したバーベQ和佐田さんの堅実なベースプレイと関西ノリ全開のキャラクター……

 おもしろいところを切り取り出すとキリがないのですが、今回は彼らの音楽に初めて触れる方がバンドの各作品にやわらかく入っていけるような記事を書けたらと思い、ペンを取ってみました。

前期:コミカル路線からハードボイルドへ

 もともと、当時東京のライブハウスで活動していたふたつのバンド、「末吉さんとほーじんさんがいた爆風銃(バップガン)」「中野くんと河合さんがいたスーパースランプ」が合体する形で誕生したのが爆風スランプの成り立ちです。

 当初はとにかくライブパフォーマンスの過激さが話題を集め、その中でコミカルかつどこか情緒的な楽曲が徐々に評価されるようになっていきました。初期の三作品『よい』『しあわせ』『幸』は「Runner」や「月光」を思い浮かべる方からすると、まったく別物のような味わいかもしれません。(ただ、そんな初期に代表曲「大きな玉ねぎの下で」が静かに産声を上げたわけですが……)

 そこから紆余曲折を経て、1987年のアルバム『JUNGLE』からホーンバンド・スペクトラムやドラマ『スケバン刑事』の音楽を担当した新田一郎さんがプロデューサーとして参画。所属事務所も新田さんの主宰する代官山プロダクションへ移籍し、案の定というべきか、ホーンセクションが大々的に取り入れられていきました。

 『楽』から『JUNGLE』であまりにも音像が変わるので「別のバンドになったのか!?」と驚かれるかもしれませんが、当時の爆風スランプにとっての課題はコミックバンド路線からの脱却と、兎にも角にもヒットソングを作り出すこと。

 しかしながら、この劇的な変化はバンドに不可逆的な転機を生むことになります。

中期:江川ほーじんさんの脱退と大ヒット

 アルバム『JUNGLE』から『HIGH LANDER』を制作するまでの間に、江川ほーじんさんと新田一郎さんの間に軋轢が生まれ、ついには脱退を決意するに至ります。

 皮肉なことに、この脱退するほーじんさんに想いを馳せた楽曲「Runner」がバンドにとって最初のヒット曲となりました。直前の「きのうのレジスタンス」「ひどく暑かった日のラヴソング」に萌芽が見え始めていましたが、ついにヒットチャートに顔を出す楽曲が生まれました。余談ですが、カップリングの「THE BLUE BUS BLUES」もバンドの日常をコミカルに描いた歌詞がファンに深く愛される楽曲となりました。

 代表曲「Runner」が収録されたアルバム『HIGH LANDER』はこれまでの爆風スランプの歴史を総括するような作品です。コミカルも、シリアスも、ポップも、すべてを抱き込むようなバラエティー豊かな作風で、ピースフルな「転校生は宇宙人」からチェルノブイリ原発事故を風刺する「スパる」というハードな楽曲まで、「このアルバムを聴いたら爆風スランプがわかる!」という決定版的な一枚となっています。

 ここからの爆風スランプはまさしく全盛期と呼べる時期に入ります。ほーじんさんの後任は兄弟バンド的存在のTOPSに所属していたバーベQ和佐田さんが抜擢され、「月光」「リゾ・ラバ -Resort Lovers-」「大きな玉ねぎの下で 〜 はるかなる想い」「45歳の地図(辛口生バージョン)」と後年にリメイクされる人気曲、ヒット曲を連発しました。

 アルバム『I.B.W.』はそんな当時の勢いを象徴する作品となりました。バブル期の狂騒を炙り出す「I.B.W -It's a beautiful world-」を軸に、前作の路線をさらに発展させたキャッチーで時に不思議な世界観が魅力的な一枚です。さまざまなタイプの楽曲が並ぶ中で、このバンドにいくつかあるメンバーの出身地にちなんだ「KASHIWA マイ・ラブ」は90年代の河合さんの大ブレイクを予感させる楽曲となりました。

 80年代の終わりを怒涛の勢いで駆け抜けた彼ら。圧倒的なファンの支持を背景に、冠番組や提供曲も成功を収めました。そして、90年代に入ると疲労が蓄積した彼らは一旦活動休止期間に入ります。

後期①:長い“充電”期間

 1990年11月、爆風スランプはニュー・アルバム『ORAGAYO -in the 7th heaven』をリリースします。前月にピンク・フロイドの名曲「Money」にオマージュを捧げた「組曲「天下御免の回り物」より 第一章カネ(マネーに捧ぐ)」で活動を再開していましたが、ついに世へ送り出されたニュー・アルバムにはアフリカのデモに参加した際にネルソン・マンデラを讃える楽曲として作られた「The 7th Heaven」「幸福追求の権利」など、各々の趣向や時代をシリアスに反映した作品が並びます。

 前作、前々作のようなキャッチーさは顔を顰め、作品主義的、アイデア主義的な楽曲が並んでいく。この変化は作品をさらに洗練させたものにしましたが、「Runner」や「リゾ・ラバ -Resort Lovers-」のような楽曲を求めるファンたちにはあまり響かず、90年代前半は一部で“低迷期”と呼ばれるほどの充電期間に入ることになりました。

 余談ですが、個人的に90年代前半の作品はかなり好きなのです。特に『ORAGAYO -in the 7th heaven』や『アジポン』はプログレ的な趣向も多分に入り、メンバーの高い演奏力が心ゆくまで味わえる作品が目白押し。たとえば、『青春王』に収録されている「Here comes the BAKUFU-SLUMP!」はいわゆる自己紹介ソングですが、彼らのコミカルな一面を堪能できる上に、和佐田さんのベースプレイが光る一曲なのでぜひ聴いてみてほしいです。

 90年代前半から後半にかけて、もともと力を入れていたソロ活動はさらに充実させていきました。中国での活動をさらに広げたファンキー末吉さん、当時人気の“直訳ロック”に便乗しクイーンやダンスナンバーの直訳カバーを披露したパッパラー河合さんの「女王様」など、各々がそれぞれの個性や得意分野を活かして活動の幅を拡大。

 先ほどは“停滞期”とも書きましたが、作品のクオリティーはむしろ洗練の度合いを増し、1994年に発表されたアルバム『TENSION』ではシティポップを支えた井上鑑さんのサウンド・プロデュースにより、デビュー当初では考えられないようなAOR調バラード「愛のチャンピオン」やポップソング「勝負は時の運だから」が誕生しました。

 こうして地道に力を蓄えていった彼らは、1995年に大きなタイアップを獲得しました。映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』の主題歌「神話」です。金子修介監督の依頼によって制作されたこの楽曲は久々にオリコンシングルチャート週間8位を獲得。アルバム『ピロリ』にはリミックス版が収録され、「ヘリコバクター・ピロリ」「人間はなぜ」など、前作に引き続き参加した井上鑑さんとの共作をさらに推し進めました。プログレ好きな鑑さんだけあって、プログレにルーツを持つパッパラー河合さんが作曲した楽曲とは特に相性が良く、河合さん自身もメロディーメーカーとしての才能を開花させる糸口を掴みつつありました。

後期②:再ブレイクから活動休止へ

 1990年代後半の爆風スランプの再ブレイクは、パッパラー河合さんの音楽的才能の開花とともにありました。

 1996年、バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の中で結成された音楽ユニット・ポケットビスケッツの音楽プロデューサーとしてパッパラー河合さんが参加。「YELLOW YELLOW HAPPY」「Power」といったヒット曲のサウンドプロデュースを手がけ、千秋さんの特徴的な歌唱と番組の人気を背景に、いずれも大ヒットを記録しました。

 さらに、同時期に放送された伝説的番組『進め!電波少年』で猿岩石がユーラシア大陸をヒッチハイクで横断する企画に挑戦し、その応援ソングとして制作された「旅人よ 〜 The Longest Journey」が番組人気とともに久々のヒット曲となり、ここで爆風スランプ自体も再びブレイクします。「旅人よ」はぜひアコースティック編成で猿岩石のふたりに向けて番組の模様も観ていただきたいです。

 1997年1月に発売され、「旅人よ」のシングル・ヴァージョンが収録されたアルバム『怪物くん』では西脇辰弥さんがサウンドプロデュースを担当。彼の手腕により、完全に吹っ切れたようにハードなバンドサウンドが展開されます。冒頭の「恋愛妄想ショー」の時点でぶっ飛んでいますが、「不思議少女ナナ」「快適なスピード」といった楽曲たちは初期からのユーモラスさを持ちつつも、これまで培ってきた強度のあるサウンドメイクが非常に心地よく、レコーディング環境の良さも伴い、2010年代のバンドに聴き慣れた方にはここから入っていくのがもっとも入りやすいかもしれません。(通しで聴いているとあまりの変わりっぷりにびっくりします……)

 こうして再ブレイクを果たした爆風スランプでしたが、1998年のアルバム『Hard Boiled』を最後に活動休止を決断します。

 最後のアルバムは前作と同じく西脇辰弥さんがサウンドプロデュースを担当しましたが、冒頭三曲「蜜柑」「ハードボイルド」「暖かい日々」をバーベQ和佐田さんが作曲するというこれまでになかった試みを行っています。和佐田さんといえば、特撮ドラマ『ウルトラマンティガ』のエンディングテーマ「Brave Love, Tiga」の作曲も手がけ、徐々にメロディーメーカーとしての才能を見せつつあっただけに、必然といえる曲順かもしれません。

 本作はそのタイトルの通り、硬質な詩情が時折顔を出しますが、そこかしこに淋しさが漂っており、“大人になった彼ら”という側面以上に「この作品が最後の作品である」という独特の雰囲気が全体を包み込んでいます。それでも、最後の「盆栽」「オクトパスサマー」はまったく新しい試みを持ち込み、とりわけ前者は盆栽ソングという新境地を開拓してみせました。余談ですが、わたしは爆風スランプの作品の中で本作がいちばん好きです。

 活動休止後、江川ほーじんさんは交通事故の影響で現在も意識不明の状態ですが、他のメンバーはそれぞれに活動を続けています。時折、バーベQ和佐田さんが参加する形でライブのために再結成をしたり、トリビュートアルバムが発売されたりしましたが、今年に至るまで新曲が発表されることはなく、2018年に始まったサンプラザ中野くんのリイシュー・プロジェクト(EP『Runner』『大きな玉ねぎの下で』『感謝還暦』『旅人よ』)ではパッパラー河合さんのみが参加するなど、あくまでソロ・プロジェクトの形でかつての楽曲が披露されました。

 しかしながら、活動休止から20年以上の時が流れ、今年2月。日中友好と「IKIGAI」をテーマに再始動の一報。こうして爆風スランプは再び歩み始めたのです。

おわりに:爆風スランプをどこから聴き始めるか?

 爆風スランプは作品ごとに大きく作風が変わるバンドです。ただ、サンプラザ中野くんが詩を手がけ、各メンバーが作曲を分担する点が共通しているため、一定のバランスが生まれているバンドでもあります。

 代表作だけを聴くと「キャッチーで詩情に溢れた青春バンド」と思われがちですが、実際には非常に幅が広く、そんな幅の広さを中野くんのヴォーカルと他のメンバーの演奏でがっちりとした音像をつくれるテクニカルなバンドです。

 特に、江川ほーじんさんが在籍していた時代はリズム隊の強さが特色で、強靭なリズムセクションとホーンの組み合わせは他のバンドにはないグルーヴ感を生み出していました。他の方も同意してくださるかと思いますが、ほーじんさんを上回る技術と個性を持ったベーシストは世界中を探してもそういないでしょう。もちろん、後任の和佐田さんも素晴らしいベーシストで、後期の爆風スランプも前期とはまた異なる爆発力を持ったバンドですが、ほーじんさんのような個性でバンドを染め上げられるベーシストは唯一無二の存在で、同じベースでも、もはや別の担当楽器といってもいいかもしれません。

 ぶっ飛んだ一面が注目されやすいバンドで、どうしても音楽性や詩情が二の次に見られてしまうんですけれども、正直、こんなにおもしろいバンドのアルバムがなぜ触れられないのかなあ……とずっともやもやしていました。だからこそ、この機会にぜひ爆風スランプの音楽に触れてみてほしいです。

 最後に、代表曲は網羅しつつも、個人的に好きな楽曲をひたすら詰め込みまくったプレイリストを数年前に作っていましたので、こちらを貼っておきますね。

 2024.3.14
 坂岡 優


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