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往復4時間の距離感

 それでも、一人暮らしをする費用面や身体的負荷を思うと、自宅からの通学を選ぶことしか考えられませんでした。

 私が学生や教授によく尋ねられたのが「どうして通いなのー?」という質問です。私の住んでいる街から大学までは2時間程度かかりますから、当然の疑問だと思います。このエッセイの序文が答えなのですが、祖母の介護を最後までやり通すことや地元で取り組みたいことがあったのもあります。

 もっと言うと、時間自体は長く思えますが、JRと阪急で乗り換えがあるのでずっと乗っているわけではありませんし、音楽鑑賞に時間が使えたので退屈はしませんでした。むしろ、この時間があったからこそ、クラシックやシティポップへの解像度を高めることが出来ましたし、古典文学や哲学、音楽学の良書を数多く読めました。

 コロナ禍で色々とあった中で、大阪や東京に拠点を置かなかったことは正解だったと考えています。周囲に公園や自然が豊富なので、息抜きが出来たことは沈みがちな当時の私にとって良かったですし、仲間内で感染者が増えた時も周囲に感染させずに過ごせました。(後者は単に運が良かったのだと思います。)

 それに、同じ街やひとつかふたつの駅を隔てているくらいだと、大学との距離感が近すぎて、個人的に気まずく思ってしまうんですよね。普段の暮らしに仕事や学業が入ってきてほしくはないし、知り合いにもなるべく逢いたくはない。友人や仕事仲間との時間と同じくらい、ひとりになる時間や家族との時間も大切にしたいし、ちょっとお洒落して逢いに行くような関係性が好きなので。特に、家族の、祖母のことが解決するまでは、そこから先に踏み出さないことも決めていました。

 友人との帰り道はほとんど一緒になれなかったり、遊びの約束にどうしても予定が合わない日が出たり、もどかしい部分がなかったとは言いません。でも、大人になったからこその地元の向き合い方、家族ときちんと接することは後悔しないための必須過程だと考えていました。祖母を最期まで看取ることが出来たのは、年齢的に祖父には何も出来ませんでしたから、「今度こそは」と非常に強い気持ちで取り組んでいたので万感の思いでした。葬儀を終えた瞬間のなんともいえない気持ちは忘れられません。

 大学四年生になってから、後輩とお話することも増えました。授業や個人的な相談に乗ったり、趣味の話をしたり。最初は浮き沈みが激しくて迷惑もかけましたが、その頃には同級生とも打ち解けられて、気軽に友人同士の会話が出来る関係性がすべての人と築けていました。

 私なりの距離感を大切に、四年間を無事に生き抜けたことの喜び。

 いま、これまでの四年間をこうして語ることが出来るのは、決して小さくない達成感があったからだと考えています。

 2023.3.21
 坂岡 優

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!