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青春のアンガーマネジメント

 言葉は溶け、記憶も消え、怒りのみが残留する。

 青春時代を思い返すと、「何故こんなことで喧嘩してしまったんだろう?」「どうしてあのような言葉をぶつけてしまったんだろう?」という出来事がいくつかある。今よりもほんの少しだけ幼くて、随分と狭い社会で生きていた私たち。今回は、あの頃の自分の経験と反省について、ほんの少しだけ綴っていけたらと思う。

 青春時代、世間の流行やSNSのトレンドよりも、クラスの中のインフルエンサーの行動がすべてを動かしていた。ちょっと砕けた言葉で表すと、ジョックスとかクイーン・ビーに当たるような人たち。全員が全員ってわけではないけれども、髪型や持ち物の流行、教師への対応はだいたいその人たちの動き次第で決まっていたように思う。幸いなことに、いじめやそれに近いものにこれらの流れが動いている光景を目にしなかったが、風向き次第でそういった風に動いてしまう事例もあるだろう。

 いま十代で実際に中高へ行っている人はちょっと状況が変わっているかもしれないが、多くの方が似たような経験をしているはず。

 好きなひとも、嫌いなひとも、どうでもいいひとも、すべてが同じ場所に放り込まれる社会。高校になると学力的な要素も含まれるが、中学までは完全にランダムで集められたひとたち。もちろん、時を重ねるごとに関わりは増えていくわけで、高校とかになると春の段階ですでに構造が出来ていることもあった。すると、何が起きるか。クラスの中でいくつかの分断が生まれ、『高校時代を全力で or それなりに楽しめたひと』と『とにかく時間だけをやり過ごしたひと』という二つの流れに分かれてくる。

 だからどう、ってわけではない。ここで大人たちにやって欲しかったのは、輪に入っていく手助けでも、『クラス仲が良い』という虚構を作り出すことでもなく、“区画整備”だ。円滑な人間関係をつくるためには、お互いのことをそれなりに知らなければならない。何も知らないまま話は出来ないし、社交辞令で合うか合わないかなんてわからないだろう。道徳のひとコマを使ってでも、相互理解に学校教育は時間を割いた方がいい。

 大人になるってことは、ストレスを我慢するのでも、建前だけでコミュニケーションをやり過ごすのでもなく、さまざまな人間と上手くやれる能力を身に付けることだ。そのためには、社会の仕組みや学問に目線を向ける必要があるし、常に最新の事柄を見逃さないアンテナの貼り方も大切。

 感情を剥き出しにしないひとって、いるよね。でも、自分がいざ『感情を剥き出しにしないひと』になるためには、喜怒哀楽を出さないことではなく、適度に出していくことが必要だ。爆発させないためにも、ちゃんと伝えるべきことを伝えるためにも。それを実際の学校生活を通してしっかり教えていくのが、教育機関におけるコミュニケーション学習なんだろうね。

 高校までは、しっかり授業を受けてさえいれば逆転のチャンスがある。でも、それは遥か先の話であって、今をちゃんと生きられない環境に身を置いている限りは何も始まらない。

 学校教育に私が求めたいのは、『人が人を知る』という行為を円滑にするための助け。論破ではなく、わだかまりを残さないためのコミュニケーション技法の習得をみんなが身に付けること。現代社会にはいろんな問題が取り巻いているけれども、そこの手ほどきをしないと今後も何も変わっていかないんじゃないかな。コロナ政策や経済・環境政策、ジェンダー平等とかの問題も多少は変わっていくと思うよ。

 ちょっとタイトルが大仰すぎたかな。私と青春とアンガーマネジメント。まったく大したことは書いてないけど、参考にしていただけると幸いだ。もしお力になれることがあれば、何かリアクションを送っていただけると嬉しい。私にできることで、力になれたら。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 2021.9.19
 坂岡 優

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!