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冷蔵庫 | GO AHEAD -僕の描く夢- 第399回

 午後一時頃、認知症の祖母からの着信。わたしはスパゲティを食べていた。

 「〜ちゃんはどこ行ったん!?」

 この名前は、一昨年に亡くなった飼い犬の名前である。死亡直後、祖母は激しく狼狽していた。当時のわたしはあまりの変化に戸惑い、周囲の友人にただ泣きつくことしか出来なかった。

 書き方はよくないかもしれないが、わたしにとっては一種のトラウマである。

 そんなトラウマが、再び目の前にやってきた。もちろん、祖母の思わぬ声を聞いた母は動揺した。飼い犬の死後、我が家ではペットの話が厳禁となっているため、こちらから話題を振ったわけではない。ただ、驚いた。驚くしかなかった。

 しかし、今回は前回と違うことがひとつある。それは、たった数年とはいえ、認知症の家族と向き合ったことにより、多少は知識と経験が蓄積されていることだ。

 「なんで電話ばっかりするん!」
 「朝のお薬飲みや〜」
 「エアコン消したらあかんで!!」

 この言葉は家族一同の口癖だ。昨日から今日、今日から明日。終わりの見えない日々は続いている。

 わたしも今年二月から介護に参加するようになった。毎日のように応対することによって、随分と認知症の方に対しての語彙が増えた。何よりも、心が穏やかになった。認知症の方と会話をするとき、いちばん大切なことは平穏と根気である。これはあくまで個人的見解に過ぎないが、この二点に尽きると思う。

 どんなことを言われても動揺せず、何度聞かれても怒らない。なるべく感情的にならないよう接する。

 あの頃の穏やかな祖母はもういない。今いるのは、なんとか生き抜こうと奮闘している祖母だ。

 この意識は必ず持った方がいい。どんなに愛おしい家族でも、本当に別人のように変わっていく。

 しかし、ひとつ勘違いしてはいけないことがある。それは、いくら腹が立つことがあっても、認知症の方のプライドを傷つけてはいけないということだ。ここを抉ると、ほぼ間違いなくけんかになる。

 これはいろいろと調べていてわかったこと、実際に接してわかったことの両面から綴っているが、人は年を取れば取るほど頑固になっていく。もし無茶なことを言っても、「怒る」のではなく、「諭す」ような感覚で粘り強く説得していった方がいい。(手を上げてきた場合は別だ。すぐにその場から離れるか、自分の身を守る行動を取ってほしい)

 今日も主にプライドが起因してけんかになった。母は数年に渡る介護で疲れている。ふだんのけんかよりは些細な原因だったが、電話口で祖母に対して激怒していた。そして、今日いちばんの出来事が起きた。

 「電話から異音がするんやけど助けて!」
 「ちゃんと電話切ってる?」
 「ボタン押した?」

 このやり取りの後、どうしても解決できなかったため、わたしが急遽祖母の家へと出向くことになった。穏やかに現れた秋の風は、まるで久々の事態に戸惑うわたしを慰めてくれるようだった。

 「……これ、冷蔵庫閉まってへんだけやん」

 家を訪れると、原因がすぐにわかった。明らかに電話の音ではないので、周囲を見回してみると、冷蔵庫が閉まっていなかったのだ。祖母の家の冷蔵庫は閉め忘れ防止のために半自動で閉まる構造になっているのだが、中途半端なところで力をかけたために閉まりきらなかったらしい。

 この話をLINEで母に伝えると、再び怒った。ずっと想定外ばかりが続いていて、本当に疲れているのが側から見ていてもわかる。

 わたしには祖母を看取る責任はない。だが、母には実の母である祖母を看取る責任がある。もう、限界が近づいているのかもしれない。いや、ずっと限界だ。それでも、わたしたちは祖母を見捨てるようなことはできない。

 お年寄りや病気・疾患等を抱えた方のために、この国には介護認定というものがある。詳しくはみなさんで調べてほしいのだが、わたしの祖母はまだ介護施設に国家の援助で入れるという段階には達していない。これは祖母が日常生活(食事・排泄・入浴等)を一般の人とあまり変わらずに出来るからそうなっている。経済面や施設、社会情勢などが複雑に絡み合い、まだまだプロフェッショナルに任せられる日は遠いと聞いている。

 悲しい話だが、いつかは介護認定のレベルが上がる日がやってくるだろう。

 わたしはその“いつか”がやって来るまで、母の介護を精一杯支え続ける。専門家や近隣の方の支えを得ながら、幼少期より大切にしてくれた人を最後まで気持ちよく生きられるようにサポートしていこうと決めた。

 祖母には精一杯生きてほしいし、元気であってほしい。どんなに認知症が進行しても、どれだけ家族とぶつかっても、少しでも長い時間、気持ちよく生き続けてほしい。

 今のわたしの一番の願いは、家族が健康な暮らしをすること。(終)

(注:認知症はひとりひとりで症状が異なります。これはあくまでも一例。家族が認知症になった際に、もっとも大事なのは適切な情報を得ることです。もしあなたのご家族に認知症の方がいる場合、できるだけ専門家や公的な支援を活用し、少しでもご家族の負担が減少するようにサポートしてくださいね。)

 2020.9.14
 坂岡ユウ

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!