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反射された自分に飽きた

自分なのに、自分だけが、何かしらに映った自分しか見られないなんて、なんか不公平じゃないですかっっ?
自分で自分を見ることはできない。そんなこと当たり前なんだけど、自分なのに、なんでなの?って思っちゃう。私はナルキッソスのようになれないし、コンプレックスにまみれているので、I♡ジブンということでは決してない。ただ周りから見た自分というものを知りたいと思う時がある。

毎朝、一応メイクをして大学へ行く。
上手でもなければ、新しいメイクに挑戦するなどといったことは考えただけで震えてしまうくらいに恐ろしくてできないため、おんなじ色をおんなじところにのせる。
アイシャドウパレットの陥没した区画を、さらにこそげ取る。そろそろ私の顔の加工に使うオレンジとベージュの添加物がなくなりそうだ。
顔の仕上がりはメイクをする前から既に分かっているけれど、ちらっと鏡を見て想定範囲内の顔になっているかを確認する。
「まぁ、こんなもんでしょ。はいはい」と見慣れすぎた顔に飽き飽きしながら鏡を見る。
こういう時、他の人から見た自分を見ることができれば、震えることなく新しいメイクに挑戦することができるのではないかと思う。服を選ぶ時だって、たまに自分に似合っているのか、このコーディネートは正しいのかと、あれこれ考えた挙句、途方に暮れることがある。

そんなわけで、「人の目鏡」的なものが欲しい。
自分から見た鏡に映る自分と他人の目に映る自分は違うはずだ。
だって反射していない、光がパンッパンッと跳ね返ってきていない。
まっすぐに入ってくる光や色を、直接にそのままに受け止めてみたい。
どこかを一旦経由して私の目に映る自分の姿は純度100%ではないような気がしてならない。鏡という面を通すことによって、私の目に入る私は、たぶんジブン度30%くらいだ。
だからこそ余計に、自分から見た服やメイクが、なかなか満足のいくものであったとしも、他の人から見たらどうなんだろうとか考えてしまって、結局いつもと同じという安定感を求めてしまっている気がする。
私の周りにいる人たちばかりが、ジブン度100%の私を見ることができて、それを良いことにとやかく言うのは、なんだかずるい。「こちとら見えてないんだよ!」って感じだ。
かといって「人の目鏡」があると、もっともっとを求めてしまい半端なく疲れてしまうのだろうけど。
でも、やっぱり欲しい。
取り急ぎ、あの原色パーカーと柄スカートが合っているのか確かめたい。

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