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自分の感情を伝えるのって、とてつもなく怖い。よね。


記憶がないくらい幼かった頃は、何かあったらけんかができてたけど、大人になったら、けんかの代わりに話し合いをする。

でも、わたしはその話し合いの発端となる、自分の感情を相手に伝える、ということにものすごく抵抗がある。

自分の感情、とくに負の感情を外に出すことがすごく難しい。怖い。嫌だ。

自分の感情を冷静に相手に伝えられず、感情を荒立てて相手にぶつけている人を反面教師にして生きてきた。

怒っている自分、感情的になる自分になりたくないから、いかにして怒らないようにするかを考えに考える。生まれつきなのか、家庭環境なのか、日本人だからなのか、わたしは調和というものに重きをおいた性格だった。

できるだけ波風立てずに、みんなが笑っている空間を維持するように自分に役割を与える。

そうやって生きてきたから、いざ自分が主張したいことがあっても、その感情を押し殺せる癖がついている。気がする。

イライラしているのかどうかよくわからない、自分の感情がよくわからない、負の感情の伝え方がわからない、それがデフォルトになって、でも支障がないから放置していた。

それができていた。それが苦しいとも思わなかった。


でも、パートナーの存在で、自分の中にも沸々と湧き上がってくるイライラする感情が健在だったと知った。

カナダで同棲を始めて一緒に時間を過ごす中で、数年ぶりに、イライラして、でもその感情を処理できずに泣きそうになる、というシチュエーションに遭遇した。

イライラする感情には、その人の大切な価値観が隠れている、と聞くが、本当にその通りで。

わたしの中で今まで大事にしてきたこと、相手を不快にさせない、自分の不快を撒き散らかさない、みたいなことに反することだった。

そのイライラしたシチュエーションというのが、

彼が洗濯物がいっぱい入ったかごを、しゃがまずに、地面から1メートルくらいの場所からどさっと大きな音を立てて置く

というもので。

一見、ん?何が?と思う方もいるだろうか。

わたしの場合、大きな音=怒っている、と結びついてしまう思考の癖があるようで、怒っている=その場の雰囲気を悪くする、に繋がる。

彼が洗濯物をそうやって大きな音を立てて置くたびに、なぜそんなに雑に置くのか?もっと静かに置けないのか?という疑問とともに、機嫌が悪いのか?怒っているのか?という考えがわたしの頭をぐるぐるし始める。


わたしは思った。その置き方はすごく不快だからやめてほしい、もっと静かに置いてほしい。

でもいつ言おう、どうやって言おう...

と思いつつ、3回くらいそのシチュエーションが続いた。

早くそれをやめてほしい...。普通なら、不快なことから距離を置くから、ストレスにならない。でも、同棲しているし、このシチュエーションはこれからも何度も遭遇する。避けられない...。伝えたい。でも、怖い。

何が怖い?って、自分が不快だと思っていることを言葉にして相手に伝えること。笑顔で、波風立てない自分を一旦捨てること。

自分の不快感を相手に伝えるということは、その場の空気を悪くすることに自分が加担すること。そんなの嫌だ。自分の感情を押し殺してでも、そんな状況は避けたい。そんな思考回路。

だから、彼にこの不快感を伝えたい、でも穏やかな自分を乱したくない、そのジレンマで1人、苦しみが募っていった。

こんな段階はみんなきっと思春期あたりに卒業しているのだろうな、と思うと、さらっと自分の気持ちを伝えられない自分が情けないという気持ちになる。

と思いつつ、イライラした感情が限界を迎えたわたしは、4回目に彼が洗濯かごを床に落とし置いた時に伝えることにした。


「洗濯カゴもっと優しく置いてほしい。その大きな物音を聞くと、怒ってるみたいで怖いし、すごく不快な気持ちになる。」


怖かった。こんな普通のことを伝えるのがわたしは怖かった。自分が今まで破ったことのない殻を破るみたいで、今まで踏み込んだことのない領域に入るみたいで...

どんな反応がくるかも怖かった。ものすごく身構えていたら、


「そっか!わかった!」

とあっさりした返事が。全然怒ってないし、不快な思いをさせてごめん、とあっさり。

あまりの軽さに、肩の荷がおりたのか、安心したのか、それまで堪えていた涙がどっと溢れてきた。

それを心配した彼が、なんで泣いてる?って聞いてきて、自分の感情を説明してみた。

そしたら、わたしの感情を全て受け止めてくれて。それまで色々頭をぐるぐるしていたのが、ふっと止まった。

けんかはしたくないけど、自分の不快感を伝えてもいいんだ、自分の不快感を伝えたからといって空気が重くなるわけでもないし、彼が傷つくこともなかった。むしろどんどん言ってほしいと言われた。

それは、わたしにとって大きな成功体験だった。今まで、家族の中で自分に課してきた役割、親の仲を取り持とうと努力した自分、5人姉弟の真ん中っことして背負ってきたものみたいなのが、少しおろせた気がした。

それからというもの、彼は洗濯カゴを優しく置くようになったし、わたしは自分の不快感を少しずつ言葉にして伝えられるようになっていった。


実はこんなやり取りを、カナダで生活し始めてから、おそらく20回くらいやった。怖い、でも伝えてみる、話し合う、泣く。

それを繰り返したら、だんだんと伝えることのハードルが下がってきて、伝える前も後も心が軽くなっていった。


このnoteをここまで読んでくださったあなたは、もしかしたら、わたしと同じような思いや悩みを抱えているのかもしれない。

そんなあなたに伝えたいのは、

自分の思いを伝えることは怖いことかもしれないけど、勇気をもって伝えてみたら、何かしらが良い方向に進む。ということ。

もしかしたら関係が悪化して合わなくなったりするかもだけど、それはそれで、思いを受け止めてくれない人なら離れようと決められるし、あなたの気持ちを聞いて、相手の言動が少しずつ変わるかもしれない。伝えないという選択は、感情が募って、自分が苦しくなっちゃう。よね。

出さない感情は自分の中で重たくなっていくだけ。感情は、どんなに嬉しくても幸せでも、永遠にその感情は味わえない。でも、出さない感情は自分の心にしこりみたいに残り続ける。

感情は、外に出す。

対象の相手に出せたらいいけど、色々考えると怖い。よね。伝え方も大事だし。

とか考えて感情を封じ込めそうになったら、日記に書こう。スマホのメモでもいい。独り言でもいい。どこかに出そう。

こんなことを思っているわたしだけど、いまだに感情をうまく出せないこともあって、一旦日記に書いてから伝える、とか、数日経って感情が落ち着いてから伝える、とか、色々やってみている。


昨日も自分の感情に揺さぶられて涙したくらいだから、そんなにえらそうなことは言えないけど、どこかの誰かの参考になれば幸いです😌

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