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今ここにいるのは偶然であり必然である

富士山のふもと青木ヶ原樹海に入った。
迷わないかと本気で心配していたが、結論から言うと、ガイドのめっしーさんがいて、洞窟探検を除けば、森林浴をしていた感じだ。
緑に囲まれて、森の香りがするかと思いきや、いつもと違った。
木の香りが強い。
その理由は、樹海に入りながらめっしーさんが教えてくれた。
今日のノートは、ひょんなことから樹海に入ることになった、インドア派の視点で記事を書きたい。樹海の中で感じたことを、そのまま表現する記事と、洞窟探検の2つのパートに分けた。

命を感じる場所

青木ヶ原樹海は、命を感じる場所だった。
盛り上がった木の根っこ。できたすき間のすべてが、何かの住処のようだった。

つい何かいるかな、とのぞいてしまう
コケや小さな木、群生するまではいかない何かの芽

そして、うねったり、斜めになったりする木々のすき間から、絶えず木漏れ日が差す。霧や光のフィルターがかかり、いたるところでプリズムが現れる。

何かを求めて伸びる根

何かを求めて伸びる根。答えは水だ。水を求めて根が伸びている。ではなぜ、こんなにも盛り上がっているのか。答えは簡単だ。土が浅いから潜れないのだ。

青木ヶ原樹海の始まりは、866年。

青木ヶ原樹海は、樹海の中でもしっかりと範囲が決まって名前が付けられている。864年までは、私が立っていたその場所は湖だったと聞き驚きしかなかった。足元にある黒い土のようなものはすべて溶岩であると言う。
864年から866年の2年もの間噴火した山からマグマが流れ出し湖を埋め立ててしまったという。
話を聞きながら、私はところどころまだ赤く熱を持つ黒い大地を想像していた。水が冷がり、マグマの熱にすべてが焼き尽くされてしまった不毛の地。
それからどれほどの年月が経ってからかわからないが、苔が生え始める。冷えて穴だらけの青木ヶ原に風や鳥が種を運んでくる。たまたま、苔が水を蓄えたところに生えた雑草がたくましくも増えていき、枯れて、わずかな土へと変化する。そのころはまだ、木々の種は小さく育っては短い命を終えていたのかもしれない。
月日がたち、うっすらと土ができたところに木々が芽を出す。季節で落ちた葉はやがて土へ変化し、自分を助けただろう。1200年経った今も大きくせり出した根が山のように存在することに、“地球に人が住めるほどの土ができるまで”の悠久の時を想う。

苔が愛おしくすら見えてくるから不思議だ。

土が浅いため、木は細く、時に傾きながら生えていた。
その傾きに光が差し込む。
森の香りと違う、と感じたのは、これだ。
私が今まで“森の香り”と認識していたのは、湿った土と木の幹、そして葉が出す香りが混ざり合ったものだった。
樹海の香りは間違いなく、木の香りがメインだ。

いくつか生えている芽がいじらしい
自分を支えきれず倒れた木がまるで門のよう。

苔だけでなく、シダ植物らしきもの(学生時代の記憶からそう思っているだけで正しくないかもしれない)やキノコが多く見られた。

私の中では小人のブランコだ

樹海の森林浴の心地よさは、常に木漏れ日がありながら、ずっと同じところに光が当たってないことかもしれない。
木々が揺れて木漏れ日も揺らぎ、光に風を感じる。

スポットライトのような光の入り方
ドット柄のようなひかり

少し土の多さに歩くとフワフワする。この辺りは、最初に歩いたところよりも早く命の営みが始まっていたんだなぁと踏みしめていた。

葉っぱに光が差しんだ瞬間
木の陰に育つきのこ
くりたけっていうらしい

樹海というと「迷う」「自殺者」と言う決してポジティブではないイメージを持っていた私。青木ヶ原樹海を知り、今ここに在る人の命もまた、偶然性の産物でありつつ、必然でもあると感じた。
光、水、空気という条件がそろうことで生命が生まれるとうん十年前に
習った知識と共に、その「たまたま」土の上に種が落ちていく偶然性を強く感じたのだ。
同時に、焼けただれていたであろうその地に1200年もの歳月をかけて木々が育ち、鹿やリスが暮らしているという事実に、必然性を感じたのだ。

日常生活にあるのは他者と自分

私は、普段の生活では、たとえ相手が空であろうとも、そこに自分が何を感じるか、など「他者と自分」と言う捉え方をしてしまう。人となら言わずもがな、だ。
しかし、青木ヶ原樹海の中に在っては、自分は自然の中の産物であり、八百万の神様のおわす地にただ存在しているだけだと感じる。

ただ存在しているだけ。

そんな風に感じながら、同時に多くの命と共に自分も「生きている」と強く感じたのだ。何かしようと思って入ったわけでもないのに、自分を振り返り、自分とは何たるかを感じている。青木ヶ原樹海は、命を感じる場所だ。



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