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【処女作・連載推理小説】蝉が一匹、力無くジーと啼いた

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「餓鬼に喰われる」。そもそも友だちの雅美さんから「気味の悪い手紙が父宛に届いた」と相談されたのがきっかけだったんです。雅美さんと手紙に書かれた所へ行くと、頭が真っ黒焦げの死体を発… もっと読む
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#00 二十六年前『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#00 二十六年前『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

 意を決してベルを鳴らしたが、誰も出ない。武家屋敷を思わせる門扉は堅く閉ざされ、開きそうになかった。と、門の脇に勝手口があった。引き戸に手をかけた。
 ギーッ。
 想定以上の音が出てギクリ。誰かに見られたかもしれないと、咄嗟に辺りを見回した。誰もいなかった。体半分程度に開けた。敷地に入った。門の外を振り返ったが誰にも見られていないようだった。引き戸はそのままに。再び前へ。
 車が三台止まっていた。

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#01 〜プロローグ~『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#01 〜プロローグ~『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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「お父さんきたぁ~、おかえり~」
「ただいま」
「あなた、おかえりなさいませ」
「うん。おみやげ、お前の好きなショートケーキ」
「うわぁ、おっきい、食べていい?」
「まあ、ちょっと待ちなさい。あなた、夕飯になさいます、それともお風呂になさいますか」
「そうだな、腹が減ったから飯にするか」
「はい、わかりました、支度しますね」
「お母さんね、昨日からちゃんと筑前煮作って待ってたんだよ

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#02 終わりの始まり『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#02 終わりの始まり『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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 外はランチタイムが始まったばかりで私の人生も始まったばかりでしたが、外の空気は暑いのに私の気分は寒かった、そんな記憶があります。通りには様々な人々が歩いていて、まだ午前中の仕事に切りがつかず「あともう一社回らないとこなし切れない」と腕時計に目をやりもう一方の手に重いジュラルミンのアタッシュケースを提げて営業車へ戻っていくルート営業マンや、徒党を組んでやっとお昼になって「何食べる?

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#03 朝比奈雅美の相談『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#03 朝比奈雅美の相談『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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 渋谷区東三丁目の交差点にあるオムライス専門店で、雅美さんが話した内容というのはおよそ次のようなことでした。
「私に知らない血縁がいるかもしれないんです」
「雅美さんが知らないご親戚の方ですか」
「ええ。昨日、そんなことを匂わす手紙が届いたんです」
「手紙が」
「ええ。それが、手紙って、普通は切手が貼ってありますよね」
「うんまあそうですね」
「貼ってないんです。それに、消印も押さ

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#05 餓鬼『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#05 餓鬼『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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 この手紙には、およそ聞き覚えのない言葉が並び、およそ面白みに欠ける内容で、かつ、ほとんどの単語が何かの代名詞のように使われているので、書き手と読み手の本人同士でしか理解できないのではないかという印象をまず持ちました。ほとんどがひらがななのは、利き手で書いていないからなのでしょうか。私はこのようなことを考えながら、雅美さんに、
「ふじゃいんというのは仏教の不邪淫のことですかね」

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#06 朝日奈重蔵『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#06 朝日奈重蔵『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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 朝比奈家は、元を辿ると浅く一九六〇年代にさかのぼる。
 この頃、神奈川県逗子市に山嵜重蔵という農家の息子がいた。
 農家といっても専業ではなく父の山嵜佐吉はほうれん草を主とする近郊野菜の栽培で収入を得、息子の重蔵は中学を卒業すると同時に担任の先生の紹介で地元の不動産会社へ就職し給与収入を得るという兼業農家だった。
 佐吉は重蔵に農家を継がせる意思はなかったようで、重蔵が中学三年に

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#07 朝日奈静馬『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#07 朝日奈静馬『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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 重蔵氏の長男、静馬氏についてもここで触れておきます。雅美さんのお父さんです。静馬氏がお生まれになるとしばらくして、重蔵氏は初台御殿に離れを建て増し、静馬氏専用のお部屋をお作りになりました。離れといっても、専用の玄関や水回りなどが一式完備で、母屋とは廊下でつながっているものの、単独で生活するには十分な広さと機能を持っています。静馬氏は、元々、どちらかというと冷静沈着なご性格で、激動

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#08 朝日奈雅美『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#08 朝日奈雅美『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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 静馬氏についてはもうこの辺にして、いよいよ雅美さんですが、小学校に通っていた頃こんなエピソードがあります。前にも書いたように朝日奈家は東京都渋谷区初台という甲州街道と山手通りに隣接する住宅地で、京王新線の新宿駅から各駅停車で一駅のところにあります。駅前の一方通行の道には、八百屋、肉屋、魚屋、惣菜屋、乾物屋から金物屋といった昔ながらの店に加えてチェーン店まであり、飲食や日常生活には

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#09 事件(真っ黒焦げの頭)『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#09 事件(真っ黒焦げの頭)『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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 雅美さんとは代々木八幡駅のそばにあるカフェで八時半に待ち合わせることになりました。
代々木八幡駅というのは、東京都渋谷区代々木にある小田急線の駅で、昭和の時代はどこにでもあるような平凡な住宅街でした。しかし、高度経済成長期とともに朝日奈不動産が大々的に手がけるようになってから事務所ビルが建ち並ぶようになり、アパレル会社やその関連会社、デザイン事務所などが入居し、また、重蔵氏のコネ

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#10 事情聴取『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#10 事情聴取『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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 現場検証が始まっていました。神社一帯には予防線が張られ、手袋にマスク、足にビニルをかぶせた何人ものスタッフが、写真を撮ったりマークを付けたりしています。こんな時間に招集かけられて迷惑だといわんばかりに見えるものの一点の無駄もなく作業をこなしている動きをぼんやりながめながら、私たちは第一発見者として聴取に応じていました。
「この被害者の身の回りにあったものはありましたか」
「よく、

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#11 初台御殿『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#11 初台御殿『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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 時計の針が午前零時を跨ぎ、重力の作用で真っ逆様に下降していくかのように時間がどんどん過ぎていきました。私たちはいつまで警察署にいなければならないのだろう、明日仕事を休まなければならないのだろうかと心配しましたが、程なくして雅美さんと私は捜査を妨害する可能性が低いと判断されて一旦返されました。ただ、いつでも連絡が取れていつでも捜査に協力することを約束させられました。要するに警察の監

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#12 黒衣の老婆『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#12 黒衣の老婆『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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「あんたは、あんたは、」と、背後からしゃがれた声を絞り出すように声が聞こえた。気になって振り向くと、暗がりで良く見えなかったが老婆が俺を見ていた。老婆はもっと近くで俺を見ようと近寄ってきた。そしてまた「あんたは、ああ」と言ってきた。このクソ暑いのに真っ黒の和服を着ていた。
「あの、すみませんが、どちら様でしょうか」
「お前は、耕太だね」

***

 初台御殿を仮の住まいにし始めて

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#13 夢『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

#13 夢『蝉が一匹、力無くジーと啼いた』

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「なんだお前は?」
 名乗ってもピンとこないようだった。だからあの話をしてやった。すると、激しく動揺する仕草を見せたが、すぐ我に返り大きくため息をついて言った。
「なんだ、今更ノコノコと、何の用だっ」
 顔は苛立たしげに言葉を吐き、細かく貧乏揺すりを始めた。
 お互い何も言わないでいた。外に目をやると、それに吊られて顔もそちらの方に気をそらせた。ちょうど良い具合に顔が後ろを向いた。

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