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「これまでの私、これからの私」小学生編

愛する皆さん、こんにちは!

今日の自分にマルをつけたい人の味方

日本スケジューリング協会
浅野夏悠なゆです。


私には5つ下の妹がいます。


小学生の私は、
「こども」と「おねえちゃん」の時間を
頑張っていました。


私の小学生を言語化すると、
今も胸が痛くなります。


両親は共働きで、
ふたりともいつも忙しそうでした。


土曜日も仕事なので、
私は一人でお留守番。

妹は学童に行ってて
(私の学童は小学3年生まで)
夕方になると、妹を連れて
母が帰ってきます。


「おねえちゃんは、大丈夫よね。」

そう、私は、たぶん、
手がかからない良い子だったのです。

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日曜、疲れている両親は
昼近くまで寝ているので、
両親が起きるまで
私は妹の相手をしながら
テレビを見ていました。


午後からは、
家事を片付けた両親と
家族でスーパーへ
夕飯の買い物にいくルーティン

一週間分の買い出しに
時間もかかるので、
日曜の家族イベントはそれで終了。


どこかに遊びに連れて行ってもらったり
親と公園で遊んだ記憶もなく
九州の祖父母の家に行く以外
家族旅行に行ったこともありません。


他を知らないから
ずいぶん大きくなるまで
別にそういうものだと思ってました。


母が妹と手をつないで
スーパーで買い物しながら歩くのを
後ろからいつも見ていたし

それも、こんなふうに覚えているのは
寂しかったからなのかな?

今となっては何もわかりません。


何も言わない子でした。


留守番をするようになった4年生の頃から
両親に、
「毎日、どんなことをしていたか
日記を書くように」と言われていて

書くのなんてめんどくさいし、
毎日のチェックが厳しくて
それが、本当に嫌でした。


毎日、宿題のように書かされて
一日のことをあれこれ聞かれるのが
本当に嫌でした。

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だから、

褒められそうなことばかり
書いていました。


とにかく毎日、
褒められることだけを書きたかった。


疲れている両親を
イライラさせたり
がっかりされたくなかった。


だから、

テストで100点をとるよう
授業はしっかり聞いていたし、

スポーツも、クラス委員も、
競争だと思っていたから
誰にも負けたくなかった。


今思い返すと、
めちゃめちゃギラギラしていた小学生です。w


とにかく、なんでも一番になってれば
間違いないよね!


勉強も、スポーツも、
何かに選ばれるのも、
こだわって努力していた気がします。


いつしか、

「日記は、スゴイ自分の記録」
いや、ほんとに、書いていて
我ながら恥ずかしいのですが

「友達よりできる私」は
誰にも甘えることもできず
周りは敵ばかり、

「努力しないと褒められない」

表彰状はたくさんあるのに、
写真にうつる小学生の私に
笑顔はなく、おすまし顔、です。


浅野夏悠なゆ


▼日本スケジューリング協会 公式サイト
https://sche-jp.com/


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