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許された日、のこと。

私の片思い(だと思っていたもの)が実を結んで、一人暮らしが始まる少し前に“関わりの薄かった後輩くん”は“大切な恋人”になった。

彼は、太陽というより月のような人だ。
犬というよりは猫に近い。
大きな声で人の前に立って目を惹くのではなくて静かな声に皆が耳を澄ませるような人で、
植物に例えるなら向日葵ではなく月見草のような人。
キラキラした宝石ではなくて、温かく光る真珠みたいな人。
人の悲しみの隣に座って、雨が止むまで待っていてくれる人。


彼の手は温かい。冷え性の私はいつも指先の温度を失くしてしまうから、彼の手をカイロにしている(なんてこと!)。彼は「なんでこんなに冷たいの」と言って、両手で私の手を温めてくれる。

彼はあまり表情が動かない。周りから言われて初めて気がついたのだと聞いたことがある。私は彼の笑顔が好きだから、どうにか笑ってくれないかと色んな話をする。そうやってたまに見る笑顔が、どうにも嬉しくて愛おしい。

彼はおおらかだ。キャパが大きいんだよ、と前に言っていた。最初の頃、私はあまり本気にしていなかったけれど(彼には申し訳ないが本当に信じていなかった)、関わりが少しずつ長くなってくるにつれて本当らしいと思うようになった。
私の病気のことも不安定な心のことも、「それも優雨ちゃんでしょ」と言ってしまうから、なんだか今までと大違いだとぽかんとしてしまう。
この調子だから私のテンションが大ブレでも様子があまり変わらないのだ。それが落ち着くけれど、少しだけ、ほんの少しだけ、怖かったりする。

彼はすごく頭がいい。思考のスピードが早いんだと思う。学校の成績には出ないかもしれない、でも人間関係で有利になりそうな頭の良さは話してみないと分からなかった。
私が好きな植物の話、彼が専攻する分野の話、お互い興味がある人の心の話や哲学の話。彼の言葉で話してほしいと思うのに、どうしてか話すのはいつも私だ。もっとその声を聞きたいのに。




ある日、彼と他愛ない話をしていたときのこと。彼は私の矢印が内側を向いているように見えると言った。他責より自責になる、人のせいにできなくて自分のせいにしてしまうところってあるんじゃないの。
いつもと変わらず読めない表情のまま、私の一番の弱点であり見ないふりをしていた歪みを淡々と見つける彼。そうだよ、自分のせいにしていたら誰も苦しまないでしょう。

どうして、いつ気づいたの?と問う私に、最初から。なんとなくそうだろうと思ってたけど本当にそうだったんだね、と彼は言った。

「優雨ちゃんは人に頼るのも苦手だと思うんだけど。どう?それは」
「……その通りです」
「やっぱり。抱え込んで一人で崩れるタイプだろうなって思ってた」
「う……あまりに言い当てられてて何も言えない」

見てたら分かるよ、と彼は少し笑った。

そして、また別の日。その日は一人暮らしが始まる(=今まで以上に距離ができて会いづらくなる)前、最後に2人で過ごす日だった。

寂しさと愛しさと不安で胸がいっぱいになって、私は彼の前で唐突に泣いた。人には微塵も思わないのに、自分のことになると途端に迷惑になってしまうのではないかと認識がすり替えられてしまうのはどうしてなのだろう。
天気雨のように涙が流れて、彼は「なんで泣いてるの」と困り顔で笑っていた。

「好きだなあって思って、離れるのが寂しくて。好きだから止められなかった」と伝えると、彼は困り顔のまま「好きで泣いちゃったのか」と笑って涙を拭いてくれた。「いいよ、泣けるときに泣きな」と抱きしめられて、余計に泣けてきて困った。最後に他人の前で泣いたのがいつだったか思い出せないくらいに、そして人の体温が頼もしいと思えるほどに、ずっと一人で泣いて耐えてきたのだと思う。

涙が落ち着いて最初に思ったのは「面倒なやつになってしまった」という焦りだった。こういうところが自責寄りなのかもしれない。
肩口に顔を埋めたまま「嫌いにならないで」と呟いた私に(言わなければいいものを)、「嫌いになるわけないよ、こんなので嫌いにならないよ」と彼は優しく言う。

「引越しても頑張らなきゃね」
「頑張らなくていいよ、優雨ちゃん頑張りすぎるから。みんなもっとテキトーにやってるから頑張らなくていいんだよ」
「……そっか。なんか、ずっと良い子でいなきゃって思ってきてたから知らなかった」
「いいよ、良い子になろうとしなくて。頑張らなくていいんだよ、鬱になっちゃうよ」

頑張らなくていい、ということを今まで何度か言われることはあった。大抵は頑張らせる人から投げかけられるもので、聞かないように心を閉じていないと矛盾した状況で心が真っ二つに折れてしまいそうだった。だから彼に言われたそれは今までより純粋に、ストレートに届いてくれた。

許されたような気がした。信じたい人を信じることを。自分として生きることを。大切にしたいと思える人を大切にすることを。自分に嘘をつかずに生きることを。

帰り際、「頑張るね」と言った私に、彼は「うん、頑張って……いや、頑張らないで。頑張らないことを頑張って」と至って真面目な声で言った。難しい話だ。難しい話だけれど、でもやってみようと思えた。やってみたいと思えた。きっと言ったのが彼でなければ、余計に意固地になって無理を重ねていたに違いない。



彼は不思議な人だ。何を考えているのか分からないくせに、すぐ見えないことも見抜いてしまう。私の葛藤も人に言わない性格も。そして必要な言葉を必要なときにくれる。その優しさに甘えすぎてはいないかと不安になるから、いつか優しさをあげる側になりたい。
そして、願わくば、この先の未来でも私の隣には彼がいてほしい。いつまでも。

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