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感謝と仕事と舞台袖と。4年目もありがとうございました。

もともと文章関係の仕事をしていたわけでも知り合いがいたわけでもなく、正真正銘0からスタートしたライター業。壁にぶち当たったり派手に転んだりしながらも、なんとか踏ん張っている間に4年が過ぎ、気づけば明日から5年目に突入します。

いただいた仕事は真面目に全力で取り組んできたけれど、正直ここまで続けてこれたのは、人に恵まれていたことが大きかったと感じています。いつも本当にありがとうございます。

今回も5年目に突入する前に、記録としてnoteに残しておくことにしました。有益なことは一切書いていませんが、読んでいただけると嬉しいです。

仕事関連のお話(実績とやりたいこと)

仕事はコラムの執筆(ものづくりやサステナブル、エシカルなど)が中心で、インタビュー記事(建築士さんや紙芝居師さんへ)の仕事も少し受けていました。5年目は、インタビューや取材の仕事ももっと増やしていきたいと考えています。

そして、書評やブックレビューもお仕事として書きたい。これについては、積極的に動いていますが苦戦しているのが現状です。情けないですが。でも本当にやりたいことなので、叶うまで諦めずに動こうと思います。(欲を言えば、大好きな出版社さんが運営する媒体で書きたいという夢もあるので、どさくさに紛れてここに書いておきます!)もし、「うち募集してるよ!」「ライター探してます」という方がいましたら、声をかけていただけると嬉しいです。もちろん、他のお仕事のご相談も大歓迎です。よろしくお願いいたします。

書評を含めて、書いた記事(許可をいただいた媒体のみ)はポートフォリオに載せていますので、よろしければご覧ください。

舞台袖の人(ときどき演者)が理想です

私の大好きな作家さんの1人である、吉田篤弘さんの随筆集『木挽町月光夜咄』に収録されている「舞台袖」には、このような言葉が綴られています。

あの黒いカーテンが垂れさがった狭い空間、すぐそこで華やかなスポットライトを浴びている舞台と演者。拍手が起こり、歓声があがり、何やら非常に晴がましいことが行われている。自分はそこに含まれながら、そのものではない。

p.95「舞台袖」引用

"自分はそこに含まれながら、そのものではない。"

この部分が、とても印象に残りました。そして、私の仕事もこうでありたいなとも思ったんです。

目立たせなければいけないのは舞台に立つ演者(執筆テーマとなるもの)であり、私は演者が最も輝く方法をを考え、裏でアレコレ試行錯誤しつつ動きまわる(記事にする)。そして、観客(読者)に喜んでもらう。

私は有名になりたいから、ライターをしているわけではありません(ネットで書いている以上、遠くまで届けるためには知名度が高い方が良いのかもしれませんが.....)。ただ、自分が大好きな人やモノに、沢山の光が当たるようにしたい。その人(モノ)の良さを可能な限り引き出し、遠くまで届けて広めたい。書くことによって、微力ではあるけれどそのお手伝いをさせてもらいたい。

だから、『木挽町月光夜咄』の中で、この文章に偶然出合い、「舞台袖」という言葉に惹かれ、「舞台袖の人」というスタンスで働こうと思いました(そもそもライターって、立場的には黒子に近いものだと個人的には思っているんですけどね)。我ながら単純だな、と思います。

とはいえ、「演者になりたい」という気持ちが全くないと言ったら嘘になります。だから、時折むくむくと湧いてくる欲求を鎮めるために、終演後の舞台(仕事以外の場)で自由に表現することは大目に見ていただけると嬉しいなぁと思っていたり。もちろん、仕事として機会をいただけるのであれば、よいものを創れるよう精一杯努力します。

4年目も本当にありがとうございました。書く仕事を続けられていることが、とても嬉しいです。今の私があるのも、関わってくださる皆さんのおかげだと思っています。5年目も、様々なことを学びつつ、ひとつひとつの出会いを大切に書いていく所存です。こんな奴ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。