内装工事中の新ギャラリーにて循環をテーマにした展覧会『Super Circulation / 超循環』展のステートメント

大型ホームセンター行くと、木材コーナーにパーチクルボードという、木の小片に合成樹脂接着剤を塗布し一定の面積と厚さに熱圧成形してできた、木質ボードの板状製品が置いてある。原料としては主に産業廃棄物として回収された解体廃材である。私はホームセンターに行く度に、今でも、あの光景を思い出す。それは酷いトラウマとして、そして夢の様な冒険記として記憶に深く残っている。

この仕事をはじめてもう少しで20年が経とうとしている。十代の私にとって建築現場は憧れの地であった。自分がいつか建築家になって歴史に残る建造物を建てる日を夢見て、工事現場の派遣アルバイトを高校生の私は始めた。その殆どは荷揚げ作業や掃除作業だが、学校の教科書では学べない経験ばかりであった。体力的にはきついが、学べて稼げるのであれば、必要なだけ働くつもりでいた。SF映画のワンシーンのようなあの光景を体験するまでは。

そこは粉塵で視界が全く無い深い人工の洞窟の中。その洞窟の正確な寸法は覚えていない。直径十メートル以上はあった様に思う。私たち作業員は、大袈裟なマスクとゴーグルをして、地上から階段で深い底まで降り、ブラシで大鋸屑の掃除をする。洞窟の上部には巨大なミキサーがある。産業廃棄物処理認定を受けたトラックが廃木材をそのミキサーに投げ込む。ミキサーで粉砕された木のチップはパーチクルボードの材料になるらしい。そこで働く在中作業員が昼休みに教えてくれた。この日は体の器官中に粉塵が入り込んだ感覚で、まともに昼飯が喉を通らなかった。身体の危機を感じて食事どころではなかった。二年続けた派遣のアルバイトはこの日で辞めた。次の日も同じ産業廃棄物処理工場の地下清掃が派遣先だったからだ。身体が洞窟を拒否する感覚と恐怖で電車に乗れなかった。

私が美術をやる意味は、あの光景を忘れないで生きていく事と近いのではないかと思っている。廃棄の先に生産された一枚の圧縮されたボードと、あの経験を切り離さなさずに生きていくこと。あの洞窟は、私の好奇心を餌に、体を疲弊させ意識範囲が狭くさせ、感覚が自己把握できない状態に陥りさせた。しかし、朦朧とした私は身体の危機を感じつつも、何か興奮していた。廃棄物の末端の世界に私はいた。それはメトロポリスの世界か。ブレードランナーの世界か。アキラの世界か。

いま施工中の工事現場まで千駄ヶ谷駅から歩いている。目の前には新国立競技場の建設が急ピッチで進んでいる。もう後戻り出来ない状況から、開催への道を推し進める祭典への高揚する気持ちが湧き上がる。モニュメンタルな建造物は完成の瞬間にオーガズムに達するのではない、建設中こそ最も興奮する。あの前の国立競技場は何処へ行ったのか。何処へ廃棄されたのか。そんな過去の競技場の行方と、実現しなかった競技場へ想いを馳せながら、缶珈琲で冷えた手を少しばかり温めて現場に向かう。

2018年1月 秋山佑太

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