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街外れの3人組。|キューバ56日ひとり旅 #7

たぶんこの国には「騒音」という言葉が存在しない。そう感じるくらい、キューバ人たち、とりわけ10〜30代の若者は周囲を気にすることなく、スマホをスピーカーモードにして自分の好きな音楽を大音量でかけている。イヤホンやヘッドホンをしている人はなかなか見かけない。

キューバ人は音楽が好きだ、ということは来る前から想像していたことだ。しかし、そのイメージ(先入観)と目のあたりにする現実には違いがあった。

まずひとつは、音楽のジャンル。

ソンやボレロといった、いわゆるブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ的なカントリーなゆったりとした音楽が街にはあふれているのだろうと思っていた。しかし、実際は、アップテンポなポップスやヒップホップが流行っている。歌詞がスペイン語なだけで、洋楽ヒットチャートの雰囲気と何も変わらない。

もうひとつが、音楽の聞き方。

キューバの街に音楽が響くとき、それは葉巻の似合うオジサンたちがギターやボンゴを鳴らし、歌っているものだと想像していた。そして、かれらの周りでは市民たちが陽気に踊っている絵を。しかし現実は、冒頭に書いているとおり、スマホ。スマホ内蔵スピーカーだけではもの足りない若者は、Bluetoothスピーカーで音量と振動を増幅させている。踊っているかというと、頭と肩を揺らすくらいで踊ってはいない。

フィデル・カストロの弟、ラウル・カストロ政権時に、携帯電話の利用が開放され(2008年3月)、インターネットアクセスが解禁された(2009年6月)。そのほか国民の生活に関わる様々なものの自由度が高まった。携帯とネットの開放は、キューバ文化の中心といえる音楽に多大な影響を与えているだろう。

先日、出合った少年3人もスマホを持つ“現代音楽”が好きな普通の子たちだった。

首都ハバナから230kmほど離れたキューバの中央南部に位置する、シエンフエゴスという街を訪れたときのこと。いつもどおり中心街を2日ほどで歩ききった私は、3日目以降は街外れを歩き始めた。

中心街から離れれば離れるほど、当然ながら観光客の影は薄くなり、建物のグレードは低くなる。けれど、キューバの日常はこういう“外れ”のほうにこそあるはずだし、未知のものと出合える確率も高くなると直感している。

中心街にいるとどうしても目的に引っ張られがちで、有名なあの建物を観に行こうだとか、どこそこ広場はひとまず抑えておかなくては、ということで道順が自ずと決まってしまう。

一方で、街外れを歩いているときのほとんどは、無目的的だ。こっちの通りはなんだかスリルがあるなとか、右折ばかりしているから次は左に曲がるか、みたいな感じ。おもしろい出合いへのアンテナは張りつつも、期待はし過ぎることなく、なにも起きなかったら起きなかったでいいや、くらいのテンションだ。

この日も街外れの一区画内を適当にぐるぐるし、そろそろ宿のある方へ戻ろうかと歩いていたときのことであった。

通りの向かいから、ひとりの少年が誰かにむかって呼びかけている。何を言っているかはわからない。キューバ人は通りすがりの友人や家族には必ず声をかける習慣があるので、少年も友人に声をかけているのだろうと思った。

気にせず通り過ぎようとすると、何を言っているかは依然わからないが、明らかに呼び止めようとする調子に聞こえた。すぐにぐるりと周りを確認すると、自分以外歩いている人はいなかった。

私だろうかと思い、人差し指を自分に向けて首をかしげると、少年は「そうだよ!」というような返事をし、手招きをした。これが明らかに物売りやタクシーの運ちゃんだったら、その場から「何か用かい?」と冷たく返すのだが、そう見えない場合や相手が子どもの場合は、よろこんで手招きに応じることにしている。

家の玄関口で涼んでいる少年のもとに歩み寄ると、通り向かいにいるときは日陰でよく見えず気づかなかったが、いつもつるんでいる雰囲気の少年がほかに二人いた。

3人の名前は、ホセ、ディラン、サミュエル。ホセは私に声をかけてきた少年で、キャップを逆向きに被り、チェーンのネックレスをしている、3人組のリーダーらしい。ディランは切れ長の目が特徴的で、サイドを刈り上げ、長く残したトップをオールバックにしている、見た目には一番こだわっている風な二枚目担当。サミュエルは、アフリカ系の血が濃くて、一番身長が高く、声と表情がやさしい、癒し系といったところか。全員15歳。

スマホでノリのいいラップ混じりの曲を聞いていた彼らは、「兄ちゃんもこの曲ちょっと聞いてみてよ。よくない?」ってな感じで、スピーカーをこちらに向け、目を細めながら頭を前後に揺らしていた。

キューバも日本も今の若者が聴いている曲にはそんな大差ないんじゃないかと考えていると、ホセは私が肩にかけているカメラを見て、なにか閃いたような表情をした。すぐにディランとサミュエルに相談すると、「それはいい!」といった顔が二人にも映る。

音楽を一時停止したホセは、ワンフレーズ歌う素振りを見せると、カメラを指差し、「ビデオ」と言った。すぐにそれが、自分たちが歌っているところを撮ってほしいことを示していることに気づいた。3人そろって歌っているところを撮るのは、彼らだけではできないし、パパやママに頼む年頃でもないし、カメラマンのchino(東洋人)が来たこの機会を逃すわけにいかなかったのだろう。

こころよくOKすると、家の脇にある壁の前に移動した。右から、ディラン、サミュエル、そしてホセという順に横に並ぶと、先ほど流していた曲をもう一度最初からかけ始めた。

大声で歌い始めるかと思うと、意外とちょっと恥ずかしそうなボリュームの声だ。楽しそうに踊りながらも、ちょいちょい周りを気にしている様子が見て取れる。

家のすぐ側だし、そりゃあ恥ずかしいよな、と思っていると、お母さんやお姉さんらしき人たちが壁の奥のほうから覗いて、微笑んでいるのが視界に入った。いつもこうして少し離れたとこから3人のヤンチャをあたたかく見守っているのだろう。

一曲終わると、3人はモニターチェックに入った。カメラの小さな画面を覗き込み、自分の歌と踊りをチェックする。ホセは満足気な表情を見せると、「Facebookにアップよろしく」とウィンクした。キューバの子たちはFacebookもやっているのか。

その次は、地区の端にある高い壁に囲まれた墓地を案内してくれた。中に入ると、この地区の雰囲気とはなんだか相容れないような、天使や聖人を模した立派なモニュメント付きの墓が連なっている。3人は入り口で、わたしが一通り撮影するのを待っていた。彼らにとっては地区の名物なので、紹介したかったのだろう。縁のないお墓に来て撮影だけしてなんだかスミマセンと思いながら、入り口に戻る。3人は感想を尋ねることもなく、次は海に行こうと誘ってきた。

ときどきサミュエルの自転車の後ろに乗っけてもらいながら、10分ほどで海についた。海といってもビーチではなく、そこは海にかかる橋の上だった。

いや、この橋はもはや橋ではない。先が途中で崩れており、海にせり出した、ただのコンクリートと鉄骨の塊と化している。足元を見ると線路の名残が見て取れる。おそらく奴隷時代にサトウキビ関連の運搬に使われていたものだろう。もしかしたら彼らの祖先も奴隷として酷使させられていたのかもしれない。

そんな悲惨な歴史に思いを馳せようとしているのもつかの間、3人は上半身裸になり、奇声をあげながら海に飛び込み始めた。暗くなりかけた思考はすぐに吹き飛ばされ、海の中でキャッキャとはしゃぐ3人を覗き込んだ。

飛び込んだのはいいけど、どこから上がってくるんだよ。と思っていると、うまい具合に崩れた部分が海と橋をつなぐ坂みたいになっていて、そこから彼らは戻ってきた。ここは、ホセたちにとっては悲しい場所ではなく、最高の遊び場なのだ。

私も3人に便乗して飛び込もうかなと思っていると、ホセは頑なに橋の端に行き過ぎないようラインを示してきた。海には入っちゃダメだ、と言っているのが伝わってきた。たしかに見た目は完全に緑色で、お世辞にもキレイとは言えない。住宅地からも近いし汚染されているだろう。

ホセの指示をこの土地の先輩からの新参者に対するやさしさだと受け取り、素直に従い、3人の遊びの撮影をたのしむことにした。この土地で生まれた3人だからこそ、ここのキレイナものもキタナイものも受け入れて、自分の糧にしていくことができるのだ。

飛び込みを満喫したホセたちは、今度はこの橋の上で歌っているところを動画撮影してほしいとリクエストしてきた。海遊びで高揚した気分をそのままに(周りにママも姉ちゃんもいないこともあるだろう)、3人は恥ずかしがる様子を一切見せず、ノリノリで歌い踊った。そして、最後はだれかのミュージックビデオみたいに、海に飛び込んで締めくくった。

キューバに来てから私のことをはじめてアミーゴと呼んでくれたホセとディランとサミュエル。餞別にコーラをおごってあげ、アディオスした。


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