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「ドライブ・マイ・カー」観てきたよ。感想です。


祝。アカデミー国際長編映画賞、「ドライブ・マイ・カー」。

出典:https://eiga.com/movie/94037/photo/

この運命から、目を逸らさない———。

心に刺さってしまうようになった、この言葉。ディズニーという夢の国に行って、現実から目を逸らし散らかそうとしていた自分の前に立ちはだかる「この運命から、目を逸らさない」。ドライブマイカーを観てしまったおかげで、苦しみとの向き合い方、人との関わり方など、生き方について考えてしまう羽目になりました。(ありがたきこと)(ディズニーは行きたい)

〜〜以下、ネタバレ含みます〜〜

苦しみを乗り越えるとはこういう事なのか...??

苦しみ。生きていたら遭遇不可避な”苦しみ”。
主人公の”苦しみ”を通じて、感情に素直になる大切さを感じました。

舞台俳優であり演出家の家福(主人公/西島さん/最高にカッコイイ)は、妻の音と幸せに暮らしていました。一見幸せそうに見えるのですが、音は他の男と浮気をしており、その現場を家福は目撃。(ウゴゴゴゴ。

その事実を音には言わず、自分の内の中に秘めたまま、何事もなかったように家福は過ごします。(カフクサン...涙...辛いって言えよ... 気を荒立てる事もなく、今まで通りの生活を。そして、音は突然この世を去ってしまうのです。


映画では約3時間、西島さんをフルスクリーンで堪能できます。至福。出典:https://eiga.com/movie/94037/interview/


2年後、広島で公演される演劇の準備で、家福はある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきや、俳優の高槻と出会います。その出会いの中で!家福が変わっていくのですが、ラスト近くのシーンで、家福が、

「もう一度(音と)話したい。怒ってやりたい。嫌だったと伝えたい。でももう、彼女はいないんだ。」「僕は、正しく傷つくべきだった」

と口にし、涙を流します。


家福は、妻に浮気をされて、本当は傷ついていた。本当は死ぬほど苦しかった。
だけど、自分の感情に蓋をしてきた。
自分の感情に目を向けるのが怖かったのではないでしょうか。

自分の感情をぶつけたら、音との関係が壊れるかもしれない、今までの平穏な日々が崩れるかもしれない。頭で、理性的に考えていたのだと思います。

家福は、今まで自分の感情に正直にならず、相手の気持ちを優先させるような事ばかりして。ドライバーのみさきに、寒い中外で待っていて欲しくない時に「外で待っていると自分が集中できない」という男ですよ。ただ「寒いだろうから中で待ってな」じゃないんですよ。みさきはそのような言葉じゃ、きっと車の中で待っててくれないから、相手がどうしたら幸せかという基準で動くだろうから、だからあえて「外で待っていると集中できない」と。中で待っている事が、相手の幸せという状況をわざと生み出しているんですよ。ハァ〜イケメンか。

なんですけど、家福が自分の感情に素直になった時以降、家福の表情に色が付いた気がして。家福がなんだか幸せそうに見えたんですよね。

自分の感情に正直になった後の、家福の変化でいうと、前まで演じれなかった役を演じられるようになるということと、表情がイキイキするくらいなんですけど。でも、家福が初めは「僕には演じれない」と言っていた役を、「僕は、正しく傷つくべきだった」と感情を吐いてから、その役を演じられるようになったんです。その役は感情を思いっきり出す性格なんですけど、思いっきり役を演じているんです。のびのびと役を演じているんです。すごく幸せそうに。私には、それが、1つの苦しみを乗り越えているように見えました。

幸せは、自分の感情、”負”の感情にも素直になって、その感情をしっかり味わった後に訪れるのではないでしょうか。大人になると(特に男性の方だと?)、自分の弱い部分を見せられなかったり、自分でもその弱い部分を見れない時が多くあると思うんです。弱音吐かずに頑張るのが良い的な雰囲気あるじゃないですか。でもいいんだって、もっと「嫌だ」って思っていいんだって、そう思いました。その先に幸せが待っているから。というか、その先にしか「幸せ」はないから。

2人の生き方から見えるもの

感情に素直になる事が大切と言ったんですが、素直になり過ぎてもあかんなと思わせてきます、この映画。

若手俳優の高槻という男が出てくるんですけども、

この人です、高槻。何秒でも見耐えられるこの顔面、国宝。出典:https://eiga.com/movie/94037/interview/


感情的な男でして、自分の感情をコントロールする事が出来ないんですよね。家福とは真逆。

家福と2人で飲みに行った時に、一般人に盗撮されるんですけど、高槻は激怒し、その一般人にその怒りを直接表します。最後にはその一般人を暴行し、殺してしまいます。

苦しみから乗り越え幸せに生きる為には、自分の感情に素直になる事が大切と言ったのですが、自分の感情に素直に行動してしまったら、人に危害を与えてしまうかもしれない。それって結果、本人にとって幸せじゃなくね...と思います。
なんですけど、家福のように、感情に蓋をしたままでも、幸せになれなくね...という。
はぁ〜〜困った困った。
どうしたらええんや。

「感情と理性のバランスが大切」というメッセージなのではないでしょうか。感情的になり過ぎてもあかんし、理性的になり過ぎてもあかんと、伝えている気がします。片方を一方的に否定はしていない部分も、この映画の良いところでもあると思いました。絶対善や絶対悪などないのですから。

「人との関わり方」について考えざるおえなかった件

感情と理性のバランスを2人から学んだわけですが、もう1つ学んだ事がございます。
それは、「人との関わり方」についてです。
「人との関わり方」。道徳で出てきそうなワードですね...。ザワザワしてきます。

先ほど書いたように、高槻は感情的な人間です。それに対し、家福は自分の感情に蓋をしてしまう人間。高槻は自分の感情に正直に生きているんですけど、感情をコントロールすることができないまま、人と関わり、人を殺してしまいます。

家福は分別がついているんですけど、感情に蓋をして人と関わり、人を殺しては、、、、いませんが、家福がみさきへ「音が死んだ日、用などなかった。でも音から話を聞いたら、今までの生活は壊れてしまうだろう。そう思うと怖くて帰れなかった。もっと早く帰っていれば助けることができたかもしれないのに。」「僕が君の叔父さんなら抱きしめて言うだろう“お前は悪くない”と。でも君はお母さんを殺し、僕は妻を殺した。」と言うシーンがあります。家福は音を殺した。直接殺してはいないんだけど、殺した。音が死んだのはくも膜下出血です。でも、家福は音を殺したと。

みさきは、母から暴力を振るわれていました。母を乗せた車を運転する時、背中を蹴られたり。突然、家が土砂崩れに遇うんですが、みさきは自分で這い上がり助かり、母は生き埋めのままの状態になります。みさきは母を助けに行ったり、誰かに助けを求めたりできた。だけど、しなかった。ただ家を見つめていたのです。みさきは自分のことを「母を殺した」と思っています。

家福もみさきも、直接暴力を振るってはいないが、相手を殺している。そこには何があったのか。
相手と正直な心を通わす事から避ける気持ちではないでしょうか。

高槻は、自分の正直な想いを相手にぶつけて、相手の想いを受け入れようとしない。家福とみさきは、自分の正直な想いを相手に伝えず、相手の正直な想いを聞けていない。3人共、正直な想いを相手と通わせ合えていない。そして、3人共、相手を殺した。

どうやったら、皆幸せになるのかな。幸も不幸も、人間は1人じゃ生きていけない。
人との関わり方って、一生付きまとってくる問題だと思う。
なら、少しでも自分含めて皆が幸せになる、人の関わり方をしたいなって。

正直な想いを相手と通わす

事が、皆の幸せに繋がる気がします。

正直な想いを相手に伝えるではダメです。通わす、です。
高槻のように人を殺してしまう。

なにも、言葉じゃなくても良い。態度でも良いし、言葉が無い行動でも良い。
ただ正直な気持ちがそこにあるのかは、大事な気がします。嘘な気持ちだったら、正直な想いを相手と通わせてる事になりませんから。

正直な気持ちで、相手と心を通わす。

そこには、少しでも皆が幸せになる、人との関わり方のヒントがあるような気がしました。

運命をどう捉えるか。

人には色々な運命があります。
事故にあって体が不自由になったり、親に虐待されたり、大切な人が亡くなったり。
この運命をどう捉えるかは、幸せに生きれるか否かに、大きく繋がる気がしました。

手話を用いて演技をする、イ・ユナという女優が出てくるんですけど、彼女は話すことができません。なんですけど、すごいイキイキしてるんですよね。自分の運命(話すことができない)に嘆いていないんです。普通だったら「なんで話せないんだ」「自分は不幸だ」って思っちゃうじゃないですか。でもイ・ユナの表情は明るいんですよ。

「私、幸せ。とっても幸せよ。」


とイ・ユナが言い切るシーンがあるんです。家福が演出している演劇中の台詞ではあるんですけど、イ・ユナ自身の言葉に聞こえました。イ・ユナの心がのっている気がしました。

「なんで私は話す事ができないんだ」って嘆き続けていたら、イ・ユナは幸せに生きていたかなって。自分の運命を不幸と捉える事もできた。でも、そうではなく、話せないという運命も含め全てを受け入れて肯定して、生きている。そして、それがとても、幸せそうに生きているように見えるんです。そうじゃなきゃ、あんなに心がのった「私、幸せ。とっても幸せよ。」という台詞は聞けない気がして。

逆に、家福とみさきは、運命を受け入れていなかったのではないかなって。親に虐待されたり、妻に不倫された運命を、不幸だって思いながら生きてきているように見えました。

「それでも生きていかなきゃいけない」という家福が言うのですが、色々な運命はあると思うけれど、私達はそれでも生きていかなきゃいけないんです。

どうしたら、イ・ユナのように幸せに生きられるのか。それは、
運命を全て受け入れて肯定して、生きる”
ことじゃないかなって。

運命を受け入れるには、苦しいステップを踏まなきゃいけない事があると思います。嫌だ、苦しい、悲しい、という感情を味わなければならないのですから。でも、その先に運命を肯定できる未来にいけるのではないでしょうか。その先に幸せが待っているのではないでしょうか。

この運命から、目を逸らさない———。

という映画のコピー。
それは幸せに生きるヒントになるなと思ったのでした。


さいごに。

ドライブ・マイ・カーには、幸せに生きるヒントが沢山つまっていました。
ストーリーの内容的にも明るい映画ではないです。ポジティブな出来事ばかり焦点を当てるのではなく、ネガティブな出来事にも焦点を当てている映画。でも、それって、悪いことじゃないなと。そこには、幸せに生きるヒントが隠されているのですから。

3時間の大作を通じて、苦しみの乗り越え方、人とどう関わるのか、運命をどう捉えるか、を学ぶ事ができました。

さぁ、提案書を明後日までに提出しなければならない運命から、、、、、、目を逸らさない、、、ぞ、、、、、、、??

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