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映画「パラサイト 半地下の家族」を見てきた。象徴的な「半地下」の意味。

昨日の夜「パラサイト 半地下の家族」を見てきました。

元々2月10日に行く予定だったのですが、当日まさかの「アカデミー作品賞」の受賞。日本での上映はちょうど一ヶ月くらい経っているので、けっこう空いているかと思ったのですが、「アカデミー作品賞」の受賞を知った人が多かったせいでしょうか、劇場は満員に近かったです。

物語は半地下の住まいに暮らす、貧しい家族「キム一家」が、高台の豪邸で暮らす「パク一家」に寄生(パラサイト)していく工程を描いている。

「キム一家」の視点で見れば、途中まではサクセスストーリー。「パク一家」から見れば、何かに襲われていく災害もの。「キム一家」に取っては途中から、無理やり解決すべき課題を与えられるパターンへと変わる。

タイトルに「半地下」とあるように、この映画では象徴的に「高さ」を感じさせる映像が出てくる。韓国で貧困に喘いている人たちがこういう「半地下の住まい」に暮らすことが一般的なのか私は知らない。なので、監督が「半地下の住まい」という一般的な事実を題材にしているのか、それとも富める者と貧しい者の対比として「半地下の住まい」を使っているのかは正確にはわからない。例え、前者であろうと後者の意味がないわけではない。「半地下の家族」というタイトルには事実として、そういう場所に住んでいるという意味と、「富める者」と「貧しい者」の暗喩という二重性(ダブル・ミーニング)がある。そして、もうひとつ「半地下」よりもっと深い「地下」という世界もこの映画には存在する。「半地下」の存在はどちらに属しているのか、この帰属意識は「半地下」に住む人たちにとってとても大切なことなのだろう。その意識がラスト行動の理由になっているのだと思う。

貧しいキム一家の長男、キム・ギウは友人から富豪パク一家の娘ダヘの家庭教師の代理を頼まれる。自分は大学に入学していないことを理由に固辞するも、結局家庭教師になることを承諾する。

大学の入学詔書などの書類の偽装は、キム・ギウの妹ギジョンが行う。行動でうまいことギジョンが美大を目指していることを示していてうまい。

パク一家に気に入られたギウは、パク一家の息子ダソンのカウンセラー的な役割に妹のキジョンを勧める。計画を重ね、キム一家の父ギテクも母チュンスクもパク一家の雇い人ととして入れて行った(家族とバレないように)。ここら辺は喜劇的でとても楽しめる。なんかうまく行き過ぎな気もするが、「コメディなら別に気にならないな」と思わせるから、うまい。

キム一家からは同じにおいがする、とダソンから指摘される。「ひとりひとり別々に洗うか」なんてギテクは言うも、チェンスクは「めんどくさそうでやりたくない」と言うような発言をする。

何もかもうまくいき、お金も得ていくキム一家。物語の冒頭では自分の家の近くで粗相をしようとする人に何もできなかったギウが、物語の中盤では気が強くなり、その人に水を浴びせて追っ払おうとするなど、視覚的にもうまくいっていることがわかるように映像は描いていく。

パク一家がキャンプに行き、空いた家を満喫するキム一家。全てがうまくいき絶頂を感じさせる描写。絶頂感を見せることによって、その後の転落がすごく悲劇的なる。

キム一家が楽しんでいる屋敷に、計画によって追い出された元家政婦が訪ねてくる。現家政婦のチェンスクが対応し、他の家族は隠れる。この後、急にパク一家が戻ってくるのだが、隠れるところまでは喜劇的な部分があって笑える部分もある。

元家政婦が戻ってきた理由は、邸宅の地下に夫を匿っていたから。韓国の富豪はいつ戦争になっても隠れられるように、地下室を持っているのが普通らしい(少なくとも昔は)。その元家政婦の夫の存在が、この映画のテーマを一気に喜劇的な物でなく、もっと切実な貧困問題にフォーカスしていく。半地下よりも深い、地下の存在。職にあぶれ、借金取りに追われ隠れなくてはいけなくなった人物の存在が。

元家政婦にキム一家が邸宅で楽しんでいたことがバレ、その事実をバラすばバラさないで元家政婦とコミカルなやりとりがあり、パク一家が急遽戻ってくることがわかり、必死に隠れるキム一家。ここら辺は緊張感あっって、「どうやって逃げるんだ」と思って見ていた。

パク一家の主人がギテクの匂いについて言及し、それを聞くギテク。

ダソンは外にテントを張り、寝ている。屋外の灯がモールス信号になっていることに気づく。元家政婦の夫がずっと信号を送っていたのだ(気づくも結局、ダソンは何もしないが)。

どうにか逃げ出したキム一家。大雨の中、住まいに戻っていく。この戻っていく場面が素晴らしいのだ。ロングショットで全体を写し、階段を降りていくキム一家の描写。上と下の対比であり、これから一家が下落していくことの暗喩でもある。下に流れる水もまた下落を強く印象付ける。ギウが気を強くして浴びせていた水。この映画で強さの象徴であった水が、容赦無くキム一家に浴びせられる。這い上がったと思っていた者たちを嘲笑うかのように、より強いものが現実を突きつける、この映画の白眉とも言える場面だ。

住まいに戻ってみれば半地下の住まいには水が充満し、うまく行っていたことが夢だったように感じられる。

次の日、ダソンの誕生日祝いに呼ばれる。キム一家。集まった、富める者を窓から複雑な眼差しで見るギウ。色々考えさえる。

物語は怒涛のラストに。狂気を伴って、祝いの席に現れる元家政婦の夫。その匂いは、ギテクの物と同じと指摘するパク一家の主人。その事実はきっとギテクのプライドを傷つけたのだろう(直接の言及はないが、映像描写でギテクは過去に砲丸投げでメダルをもらっているようだ。栄光の時があったということで、プライドもあったのだろう)。

全てが終わり、ギウの夢想で物語は終わる。この終わりはもう少し曖昧にしてもよかったのではと思った。

序盤は喜劇で、中盤はサスペンス的な要素があり、ラストには貧困問題を考えさせる。いろいろな要素を織り交ぜながら、違和感も感じさせない脚本はすごいと思った。


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